名古屋市立大学の歴史

名古屋市立大学の歴史

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はじめに

 名古屋市立大学は、令和2年(2020)、開学70周年をむかえる。昭和25年(1950)、名古屋市立大学は、前身の名古屋女子医科大学と名古屋薬科大学の統合再編によって開学し、医学部(旧制、入学定員40名)と薬学部(新制、入学定員80名)の二学部からなる大学として歩みを開始した。それから70年の年月が経過した。ここに70年間の歴史を叙述し、あわせてそれに先立つ前身校の歴史を叙述し、これによって本学の歴史と個性を明らかにしたい。
 名古屋市立大学は、令和2年10月現在、医学部、薬学部、経済学部、人文社会学部、芸術工学部、看護学部、総合生命理学部の7学部と、医学研究科、薬学研究科、経済学研究科、人間文化研究科、芸術工学研究科、看護学研究科、理学研究科の7研究科を擁する大学になっている。最初にこれら学部・研究科設立の歩みを簡単に振り返っておこう。
 昭和25年の名古屋市立大学開学ののち、医学部を新制の学部に切り替える作業を行ない、同27年(1952)新制の医学部(医学科、入学定員40名)を設置した。また医学部進学課程の設置にともない、同30年(1955)には教養部を設置した。同36年(1961)には大学院医学研究科(博士課程)、大学院薬学研究科(修士課程)を設置した。
 その後、名古屋市立大学総合化計画のもと、同39年(1964)に経済学部(経済学科、入学定員150名)を設置し、同43年(1968)には大学院経済学研究科修士課程を、同45年(1970)には博士課程を設置した。これに並行して、同41年(1966)には大学院薬学研究科博士課程を設置し、同45年(1970)に薬学部に製薬学科(入学定員100名を薬学科60名、製薬学科40名とする)を増設した。
 しばらくの時を経て、昭和63年(1988)、医学部附属看護学校を改組して看護短期大学部(看護学科、入学定員100名)を設置した。平成元年(1989)には経済学研究科修士課程(昼夜開講制、社会人大学院)を設置し、同2年(1990)には、経済学部に経営学科(入学定員200名を経済学科140名、経営学科70名〈うち10名は1994年度までの期限付き〉)を増設した。
 次いで、平成8年(1996)、名古屋市立大学、名古屋市立保育短期大学、名古屋市立女子短期大学の市立3大学の統合がなされた。これによって名古屋市立大学に人文社会学部(入学定員、人間科学科50名、現代社会学科50名、国際文化学科55名)、芸術工学部(入学定員、視覚情報デザイン学科30名、生活環境デザイン学科30名)、自然科学研究教育センターが設置された。市立3大学統合による三部局の設置は、名古屋市立大学の総合大学化を大きく前進させるものになった。
 さらに、平成11年(1999)、看護短期大学部を改組して看護学部(看護学科、入学定員80名)を設置した。同12年(2000)、大学院人間文化研究科修士課程、大学院芸術工学研究科修士課程、大学院システム自然科学研究科修士課程を設置し、同14年(2002)にはそれぞれの博士後期課程を設置した(修士課程は博士前期課程とした)。そして、同15年(2003)には大学院看護学研究科修士課程を、同17年(2005)には博士課程を設置した。また、同年、芸術工学部の学科名称をデザイン情報学科及び都市環境デザイン学科に変更した。
 そして、平成18年(2006)、大学の法人化が実施された。ここに今日に続く公立大学法人名古屋市立大学が誕生した。法人化してからは今日まで14年間の歩みということになる。
 その後も、平成19年(2007)、経済学部の学科を改組、再編して、公共政策学科(入学定員90名)、マネジメントシステム学科(入学定員80名)、会計ファイナンス学科(入学定員60名)を設置した(学部入学定員は計200名から230名に増員)。平成22年(2010)には、芸術工学部都市環境デザイン学科を建築都市デザイン学科に名称変更し、同24年(2012)には、芸術工学部の学科を改組、再編して、情報環境デザイン学科(入学定員30名)、産業イノベーションデザイン学科(入学定員30名)、建築都市デザイン学科(入学定員40名)を設置した(学部入学定員は計80名から100名に増員)。同25年(2013)には、人文社会学部人間科学科を心理教育学科に名称変更し、3学科の入学定員を増員した(学部入学定員は計165名から200名に増員)。
 さらに、近年では、平成30年(2018)、自然科学研究教育センターを改組して総合生命理学部(総合生命理学科、入学定員40名)を設置した。東海三県では、76年ぶりになる理学系学部の誕生であり、名古屋市立大学にとっては19年ぶりの新学部の誕生であった。あわせて、令和2年(2020)、大学院システム自然科学研究科を理学研究科に名称変更した。
 名古屋市立大学の歴史については、すでに、名古屋市立大学20年の歩み編集委員会編『名古屋市立大学20年の歩み:1949~1969』(名古屋市立大学事務局総務課、1970年)、名古屋市立大学編『名古屋市立大学30年の歩み』(小冊子、1980年)、名古屋市立大学開学50周年記念誌編纂委員会編『名古屋市立大学50年の歩み』(2000年)、名古屋市立大学記念誌編纂委員会編『名古屋市立大学60年の歩み』(2010年)があり、各部局もそれぞれの記念誌史類を作成してきた。また、閉学・閉校となった前身学校の歴史を記述したものとして、名古屋市立大学看護学校編『名古屋市立大学看護学校閉学記念誌』(1990年)、同編『看護学校四十一年の回顧:みとりの灯を掲げて』(1990年)、名古屋市立女子短期大学50年誌刊行編集委員会編『名古屋市立女子短期大学50年誌』(1996年)、五十年史編纂委員会編『名古屋市立保育短期大学五十年史』(1997年)がある。本稿はそれらを参照し、またその一部を引用させていただいた。
 さらに、本史作成にあたって、今回、学内・学外にて資料調査を実施し、大学史に関する資料の収集につとめた。その中で最大の発見は、法人化に際して名古屋市から移管された大学草創期および前身校に関する資料(以下「名古屋市立大学および前身校関係史料」と呼ぶ)が存在することを確認したことである。そこには、大学の歴史にとって重要な資料が多数含まれていた。これについて詳しくは、別に一文を設けて紹介する。また、本学の卒業生や名誉教授の先生方などからかつての大学の様子をうかがうことができ、関係資料についてのご教示を受けることができた。本史はそれらの資料をも活用して、あらためて名古屋市立大学の70年の歩みを叙述するものである。
 なお、本稿における歴史の記述は、平成18年(2006)の大学の法人化までを中心に行なうこととする。それ以降の歩みについては、歴史として記述するにはまだ現代史すぎる側面があり、学部・研究科の新設については略述するが、それ以外の部分については、学部・研究科が執筆するページに譲ることとしたい。