学部・研究科・附属病院の歴史
学部・研究科・附属病院の歴史
医学部の同窓会組織はこれまでに何度も形態や名称を変化させながら発展してきた。ここではその変遷について概説する。
第一期:斯友会【しゆうかい、昭和31年(1956)~昭和43年(1968)】
斯友会は新制医学部1回生が卒業した年である昭和31年(1956)4月に設立された。これは同窓生だけでなく教員などの医学部関係者を正会員とし、会長に医学部長吉田義治氏を迎えた同門会的な組織であった。同窓生がまだ500名以下で組織力が足りず、大学主導の組織作りを受け入れるより方法がない時代であった。
第二期:医学部同窓会【昭和43年(1968)~平成19年(2007)】
時の経過と伴に同窓生も増え、大学主導の斯友会のあり方への疑問もあってか関心が薄れ、事業もほとんど行なわれなくなってしまった。そんな中、同窓生相互の連携を密に保ち、西日本医学生体育大会援助などの事業を行うために、同窓生主体で同窓会組織を整備する気運が高まり、昭和43年(1968)7月27日に開催された斯友会理事会で斯友会を発展的に解消し、医学部同窓会を設立することが全会一致で認められた。
こうして昭和43年(1968)9月14日に設立された医学部同窓会は同窓生のみを正会員とし、それ以外の医学部関係者を準会員とする自主自立した会であり、初代会長には同窓生から水谷孝文氏(昭和31年卒)が選出された。昭和63年(1988)5月12日には長年の夢であった医学部同窓会館が開館し、同窓会活動の拠点となった。この同窓会館は医学部創立40週年事業の一環として計画され、総工費約2億円のうち5,800万円余りは会員からの寄付であった。
第三期:瑞友会【ずいゆうかい、平成19年(2007)~平成26年(2014)】
第二世代の同窓会は40年ほど続いたが、同窓生が4,000名を超える規模になると、100名余りの準会員を別枠で設けることに対する疑問が聞かれるようになった。そこで第8代会長花井謙次氏(昭和37年卒)時代の平成19年(2007)4月1日に会則を一部改定し、準会員を廃して同窓生以外の会員も正会員とすること、同窓会の正式名称を瑞友会とすることが決められた。多数を占める同窓生が主体である態勢は変わらないが、会員制度は奇しくも斯友会時代に戻ったことになる。
第四期:一般社団法人 名古屋市立大学医学部同窓会【平成26年(2014)~現在】
任意団体から法人格を持った組織になることは会の社会的ステータス向上に資するとの考えから、第9代会長奥村恪郎氏(昭和44年卒)時代に副会長横山善文氏(昭和48年卒)を中心として調査研究が進められ、平成26年(2014)4月1日に新たな定款を制定して法人格を取得した。これにより正式名称が「一般社団法人 名古屋市立大学医学部同窓会」となり、瑞友会は通称になった。各クラスなどから選出された代議員が法人社員となって代議員会を構成し、これが議決機関の社員総会と位置づけられた。