卒業生の声
フリーターから哲学者へ
名古屋市立大学の人間文化研究科の修了生である小川仁志さんは、とても多彩な肩書きを持っている。テレビ番組のコメンテーターとしてレギュラーを持ち、雑誌や新聞のコラムニストであり、しかもほぼ毎月1冊のペースで本を執筆する作家であり、そして現代の日本を代表する若き哲学者でもある。
彼は京都大学を卒業後、世界を飛び回る夢を見て大手商社に入社した。しかし商社時代に台湾を訪れ、そこで見た光景にショックを受けた。
「台湾で出会ったすべての人が、自分たちの国の政治を真剣に考え、意見を述べ、自分で国をつくろうとしていた。それは日本では考えられないことでした」。
彼は、日本をそんな社会に変える“活動家”になろうと決意する。それが彼の大きな転機となった。
小川さんはさっそく会社を辞めて人権派弁護士をめざしたが夢破れ、本人曰く「地獄のフリーター生活」に陥る。しかし「地道なことから始めよう」と思いなおし、名古屋市の公務員となってまちづくりに専心する。しかし知識不足を感じた彼は、もう一度学びなおすために本学の社会人大学院に入学して「公共哲学」を学び、博士号を取得。在学中に、現在の徳山工業高等専門学校の准教授となる。
この波乱万丈の経歴は、彼の初の著作「市役所の小川さん、哲学者になる 転身力」(海竜社)に詳しい。
議論が人を成長させる
本学の大学院で、彼は公共哲学の第一人者である福吉勝男先生(現・名古屋市立大学名誉教授)のゼミに所属した。
当時の思い出を尋ねると、彼はまっさきに「熱い討議」をあげた。
「毎日、一つの問題について数名のゼミ生が声を荒げて徹底的に議論していました」。
テーマは国家や市民社会に関すること。たとえば、今の世の中はどうあるべきか、どんな国づくりをすれば良いかといった問題について何時間も対話……というより「激論」を戦わせる。社会人大学院という性格上、当時の福吉ゼミの平均年齢は50歳以上。しかし年齢や相手の社会的立場などとはまったく無関係に、誰もが相手を否定し、いかに自分の正しさを主張して相手を論破するかに夢中になった。時には先生さえ挑発することもあった。
「絶対に負けたくなくて必死でした。当時、僕は市役所で働いていましたし、子どもも生まれたばかりでしたが、何とか時間をつくって予習をし、相手を説得しようと思っていました」。
もちろん、単なる口喧嘩ではない。意見を戦わせることで議論の内容が深まり、視野が広がり、自らの知見も増え、全員が成長する。そんな喜びを参加者全員が感じていた。ゼミ生の中で一人だけ働いていた小川さんが参加できるよう、わざわざ彼に時間を合わせて夜にゼミが開かれていたということが、参加者全員がその議論の時間を楽しみにしていた証拠でもある。
この時間を通して、彼は徹底的に鍛えられた。その経験が、その後の彼の活動に大きく影響しているという。
哲学カフェから世の中を変える
彼は現在、山口県の徳山工業高等専門学校で倫理・哲学を教えると同時に、“活動家”として同校のサテライトキャンパスを運営したり、地域のボランティア団体と共に手づくりの映画祭を実施したりしている。
「お金にはなりませんが、すべて私が研究する公共哲学の実践です」。
そしてもう一つ、彼が力を入れているのが、月に一度、徳山駅前の商店街の空き店舗を借りて行われる「哲学カフェ」だ。これは学生に限らず、誰でも自由に参加でき、毎回変わるテーマについて自分の考えを発表する場。公開討論会というほど堅苦しいものではなく、「正しいことって一体誰が決めるの?」「どうして人によって幸せの基準は違うのか?」など、とても身近で深い問題について、お茶を飲みながら気楽に話し合う空間だ。
誰が何を発言してもいいが、参加者が気軽に発表できるよう、小川さんは3つだけルールを決めた。
1.相手を全否定しない
2.難しい言葉を使わない
3.人の話をさえぎらない
「それはすべて、僕たちがゼミの討論の時間にやっていたことの裏返しですけどね」。
小川さんはこの活動を通して、議論が深まり、みんなの視野が広がっていくことを願っている。それと同時に、すべてを行政に任せるのではなく、自分たちの生活に関わることは自分たち当事者で考えていくことの大切さを知ってほしいと願っている。今では地元だけでなく日本全国で哲学カフェを開催する小川さん。時には小学生だけ、大学生だけのイベントを行うこともある。
この活動を通して、みんなが社会の問題を身近に考えてくれるようになること。こうして間接的に日本の社会をより良い方向へと変えていく。それが、小川さんの“活動家”としての一番の仕事なのだ。
プロフィール
小川仁志さん
徳山工業高等専門学校 准教授
[略歴]
1993年 京都大学 法学部 卒業
1993年 伊藤忠商事株式会社 入社
2001年 名古屋市役所 入庁
2007年 徳山工業高等専門学校 准教授 就任
2008年 名古屋市立大学 大学院人間文化研究科 博士後期課程 修了 博士(人間文化)
URL: 徳山工業高等専門学校 http://www.tokuyama.ac.jp/index.html
URL: 哲学者の小川さん http://39032997.at.webry.info/