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卒業生の声

地元の「枡」を、世界に広めたい。世界を経験した彼女がたどりついた夢。

歴史は暗記科目ではない

「高校の頃から、日本史の研究者になりたいと思っていました」と語る手嶋大侑(てしまだいすけ)さん。しかし名古屋市立大学の人文社会学部に入って日本史を学び始めて、高校時代の日本史の勉強とはずいぶん異なることに驚いた。

「私が高校生の頃は、日本史は暗記科目というイメージが強かったんです。しかし大学で日本史を学び、歴史を研究するということは、史料を丹念に読み込み、その時代を生きた人々の営みに触れ、考えることだと知りました」

歴史研究の世界には、絶対の正解というものが存在しない。だからこそ、膨大な史料を調査し、読み込み、自分なりの考え・歴史像をきちんと導き出すことが重要なのだと手嶋さんは語る。

そしてもうひとつ、日本の歴史を研究する上で欠かせないものとして、手嶋さんはグローバルな視点を挙げる。この場合のグローバルとは、日本と東アジアとの関係という意味。

「日本という国は、中国・朝鮮といった東アジア諸国との交流を通して国家・社会、文化を発展させてきた歴史があります。特に古代はその傾向が顕著な時代ですので、日本古代史を研究する上で、東アジアとの関係は無視できないものです。私が入学したのは人文社会学部の国際文化学科でしたから、海外志向で広い視野を持つ友人が周りにいたことや国際的な授業を履修できたことは、グローバルな視点を養うという意味でとても恵まれた環境だったと思います」

日本古代史について学ぶうちに、手嶋さんは平安時代の社会に興味を持った。

「平安時代といえば、貴族の時代、みやびで絢爛豪華な宮廷文化が生まれた時代、平和な時代などが頭に浮かぶと思いますが、日本史の時代区分で言うと、平安時代は古代から中世へ移り変わる時代、国家や社会のあり方が大きく変化した時代になります。いわゆる時代の転換期にあたるわけですが、そのような時代の中で、当時の人々はどのような暮らしをしていたのか、これを解き明かしたいと思うようになりました」

専門が違うからありがたい

手嶋大侑さん

2年生の後期になると、手嶋さんは日本古代史・仏教史を専門領域とする吉田一彦先生のゼミを選んだ。テキストとして使われたのは9世紀後半の出来事が記録された『日本三代実録』。

ゼミでは、この史料を読み込み、当時の社会、文化や人々の暮らしぶりを少しずつ学んでいった。

その中で手嶋さんが注目したのが、「年官」(ねんかん)という制度。年官とは、上級の皇族・貴族に与えられた特権の一つで、地方の役人(下級国司)を推薦・任命できる権利のこと。

「この年官がどのように使われていたのかを調べることで、当時、中央貴族が地方に対してどのように影響力を行使しようとしたのか、また逆に地方に住む有力者がどのように中央貴族に取り入ろうとしたのかという関係が見えてくるのではないかと思ったんです」

そして、より深く年官に関する研究をするため、手嶋さんは大学院の人間文化研究科へ進み、ゼミと同じ吉田先生の研究室に所属した。

手嶋大侑さん

「名市大に来て良かったことはたくさんあります。たとえば先生と学生の距離がとても近いこと。そして好きな研究に打ち込める環境があり、教職員の方が全力でバックアップしてくださること。でも、私にとって何より名市大で良かったと思うことは、吉田先生と出会えたことでした」

実は、吉田先生の専門は仏教史(宗教史)であり、彼が研究対象として選んだ社会経済史というテーマとは少し分野が異なっている。しかし分野が違うからこそ、吉田先生に師事できたことはとても大きな意味があったと手嶋さんは考えている。

「もちろん先生に師事できてよかったことは数え切れないほどありますが、分野が異なっているため、先生の学説にとらわれずに、自分の研究に取り組めたことはよかったと思います。もし、先生と同じ仏教史をテーマにしていたら、先生の研究や意見にとらわれすぎて自分のオリジナリティーを出すのが大変だったと思います(笑)。あと、吉田先生は東アジアの中で日本の仏教・宗教を考えることを重視されている先生なので、そうした先生の下で学ぶうちに、広い視野で歴史を考える姿勢が自然と身に付いたこともよかったと思います」

そしてもう一つ、名市大で学べて良かったと思えることがあるという。

「名市大の大学院には、さまざまな専門を持つ先生がいらっしゃいます。私が在籍していた時は、近現代史、民俗学、文学、国語学(言語学)などをご専門とされる先生方がおられ、そうした先生方の前で何度も研究発表をさせていただきました。そのたびに、自分が想像もつかないような視点からコメントをいただくことができ、それが研究を深化させる大きなヒントになったこともありました」

日本歴史学会賞受賞当時の手嶋さん

日本歴史学会賞受賞当時の手嶋さん

こうして手嶋さんの研究は少しずつブラッシュアップされていった。

そして博士後期課程の2年目に手嶋さんは初めて学術雑誌『日本歴史』に自身の論文「平安中期の年官と庄園」を投稿。この論文が、2018年の日本歴史学会賞を受賞した。この賞は『日本歴史』掲載の論文の中から、完成度の高い論文および問題提起に富んだ論文に贈られる。

「26歳の受賞は当時の歴代最年少タイの記録だそうです。これで少しは、他の研究者の方々に私の名前を知っていただけたと思います」

歴史を学ぶことは人を学ぶこと

博士後期課程修了後、2019年から名古屋市立大学の非常勤講師として勤務した。この時、『名古屋市立大学70年史』の編纂にも関わっている。

「川澄キャンパスの倉庫から土地売買の書類や覚書などを引っ張り出し、整理しながら、大学史をまとめました。名古屋大学と交渉しながら土地を購入してきた歴史を示す史料など、興味深く読ませてもらいました。私は学部・大学院合計で10年ほど名市大に在籍しました。それだけ長く親しみ、愛着のある大学ですから、名市大で身に付けた歴史研究の手法を大学のために生かすことができて、嬉しかったことを覚えています」

(『名古屋市立大学70年史』を読みながら当時を振り返る手嶋さん)

(『名古屋市立大学70年史』を読みながら当時を振り返る手嶋さん)

その後も手嶋さんは年官に関する研究を続けている。

今後は、地方社会の中で年官がどのように取り扱われているのかといった研究を通して、平安時代の貴族社会の構造や平安時代という時代の特徴を解明していきたいと話す。

「おそらく、年官に関しては日本で私が一番研究しているんじゃないかと思います(笑)」

そして今日、名古屋市中村区の同朋大学で主に日本古代史分野の講義を担当している。ここで学生に指導する時も、名古屋市立大学で学んだことが生きているという。

「よく日本史など文系学部の知識は社会に出て役立たないと言われますが、そんなことはありません」

歴史は暗記ではなく、その時代を生きた人間を学ぶこと。そして歴史という『過去』を学ぶことで『今』を知り、『未来』につながる問題を見つける力を養う。それが歴史を学ぶ価値であること、そして歴史を学ぶことは楽しいということ、これを伝えていきたい。それが手嶋さんの想いだ。

講義の後、手嶋さんは毎回学生から感想や質問などを書いてもらっている。最近、その感想の中に「大学で歴史を学ぶのはとても難しいけど、とても楽しいということを知りました」という内容のコメントを見つけた。

「やってきて良かったと思う瞬間でしたね(笑)」

プロフィール

手嶋 大侑(てしま だいすけ)さん
同朋大学 文学部 人文学科 専任講師
[略歴]
2014年 名古屋市立大学 人文社会学部国際文化学科 卒業
2016年 名古屋市立大学 大学院人間文化研究科博士前期課程 修了
2017年 日本学術振興会特別研究員DC2
2019年 名古屋市立大学 大学院人間文化研究科博士後期課程 修了
2019年 名古屋市立大学 人文社会学部 非常勤講師
2021年 日本学術振興会特別研究員PD
2022年 同朋大学 文学部 人文学科 専任講師

手嶋 大侑さん

その優しそうな風貌に似合わず、小学校時代からずっと野球を続けてきた体育会系の手嶋さん。大学でも野球をしたいと思ったものの、歴史の研究に打ち込みたいという想いも強く、迷ったあげく準硬式野球部を選択。4年間打ち込んだ。しかし大学院ではさすがに研究が忙しくなり、プライベートに割く時間がなくなった。「でも私は歴史研究そのものが大好きなので、研究していられたら幸せです」と手嶋さん。最近、少し時間に余裕ができ、新しい趣味として魚を飼い始めたとか。

URL: 同朋大学 手嶋 大侑さんプロフィール 
https://www.doho.ac.jp/introduction/professor/teshima

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