卒業生の声
日本の最先端の研究室
実験装置の中にマウスを入れ、目の前のレバーを引くと水が出るようにしておく。すると数日で、マウスは水を得る方法を学習する。この時、マウスの脳の中でどんな情報の伝達が行われ、神経細胞およびグリア細胞がどんな変化を起こしているか。従来は、この情報伝達や細胞の変化をリアルタイムで調べる方法はなかった。しかし最先端の「2光子顕微鏡」を使えば、生体を傷つけることなく、脳の状態を精密に見ることができる。
「つまり、リアルタイムのMRIのようなものです」と語るのは、基礎生物学研究所の光脳回路研究部門で助教を務める和氣弘明さん。基礎生物学研究所とは、大学共同利用機関法人である自然科学研究機構が設立した研究所の一つで、国立天文台などと並ぶ日本の最先端の自然科学研究機関である。そして和氣さんは、「日本で最初に2光子顕微鏡を使い始めた研究者の一人」だという。
和氣さんが脳神経に興味を持ったのは医学部の3年生の時。
本学の医学部では、3年次の学生を基礎研究講座に配属し、早いうちから最先端の研究に触れさせる『基礎配属』というシステムがある。その中で彼は基礎生物学研究所の『生体制御部門』に配属になり、神経科学というテーマがあることを知った。
恩師との出会い
この研究室で、彼は恩師である加藤教授に出会った。
「加藤先生は若くて精力的で、これからの名市大と世界の脳神経医学分野を担う人物として注目された研究者でした」。
しかし和氣さんが大学6年生の時、加藤先生に悪性の胃ガンが見つかる。余命を知った先生は「自分の身体を研究に役立ててほしい」と、大学に献体を申し出た。摘出されたガン細胞はその後も研究室で培養され、研究に使われている。自分のことよりも、学生のため、そして人類のための研究を一番に考える。加藤先生は、そんなスケールの大きな研究者だった。
和氣さんは医学部を卒業した後、病院の神経内科で臨床を経験している。しかし1年後に大学院に戻り、研究者として歩むことを決意した。
「今の医学では、脳は完全に解明されていません。教科書の記述の多くが、数年後に古くなる世界です。それなら、目の前の患者さんを治すことも大切ですが、自分は基礎研究を続け、もっと多くの患者さんを治したいと思ったんです」。
そこには、研究に生涯を捧げた加藤先生に少しでも近づきたいという気持ちがあったのかも知れない。
彼が大学院で研究テーマとして選んだのは「グリア細胞」という脳の組織であった。人間の脳の組織中、いわゆる神経細胞は全体の約20%に過ぎず、残りの80%はグリア細胞である。従来、この細胞は単なる膠(にかわ:グルー)のようなものだと思われてきたが、和氣さんはグリア細胞に含まれるいくつかの細胞こそが、精神・神経疾患の原因に関与しているという仮説を立てた。
「それ以来、自分の仮説がどれだけ正しいかを確かめることも、私の研究の大きなモチベーションになりました」。
そして新たなステージへ
その後、和氣さんはグリア細胞に関する研究に没頭し、医学研究科修了と同時に医学博士の学位を取得。そして生理学研究所でCREST(国の戦略創造事業に関わる大規模なチーム型の研究)研究員として2年を過ごした後で渡米。米国国立衛生研究所という脳研究の最先端分野で、3年に亘って研究を続けてきた。
「グリア細胞の研究で、日本では私が最先端だと思っていましたが、アメリカにはもっとすごい人がたくさんいました」。
しかしアメリカ時代の研究によって、彼はグリア細胞が脳疾患に大きく関与するという仮説が正しいことを確信したという。今後は、より臨床に近いテーマを扱うことで、最初に決めた「もっと多くの患者さんを治す」という目標に近いステージの研究を行う。
「たとえばアルツハイマー。現代の医学の治療は、症状が進行しないように抑えることしかできません。でも、患者さんやご家族から見たら、それは治療ではないんです」。
脳のことは、まだよく分かっていない。だからこそ、これまでの医学界の常識とはまったく違う、グリア細胞からのアプローチに大きな可能性があると彼は考えている。
この大きな目標のほかに、和氣さんにはもう一つ目標がある。
「将来は名市大に戻り、私のテーマを継承してくれる研究者を育てたい。でも、加藤先生は上の方で『まだ早いよ』と笑っておられると思いますけどね」。
2012年の8月、和氣さんは本学の神経科学の講座で初めての授業を担当した。和氣さんは、自分の歩む道の正しさを、少しずつ証明し続けている。
プロフィール
和氣弘明さん
基礎生物学研究所 光脳回路研究部門 助教
[略歴]
2001年 名古屋市立大学 医学部 医学科 卒業
2007年 名古屋市立大学 大学院医学研究科 博士課程 修了
加藤先生が亡くなった後、研究室のみんなで撮影した一枚。それまで、和氣さんは(自称)「とても不真面目な学生」だったが、加藤先生が亡くなったことが人生の大きなターニングポイントになった。だから今、本学で講義をできることで少しだけ恩返しをさせていただいていることに感謝の気持ちでいっぱいだという。