卒業生の声
解剖実習で考えたこと
名古屋市立大学大学院医学研究科を修了し、現在、国立医薬品食品衛生研究所で病理部長を務める小川久美子(おがわくみこ)さん。
父は開業医。小川さんが幼い頃は、医院の裏木戸を叩く患者さんがいれば、たとえ深夜でも飛び起きて治療を行うような医師だった。またとても勉強熱心で、88歳で引退するまで、毎晩遅くまで医療に関する本を読み、勉強し続ける人だった。
小川さんが医師になるため名古屋市立大学に進んだのは、そんな父の影響だった。とはいえ、1〜2年生の教養教育では、医師になるという実感はなかったという。
小川さんが医師になることを強く覚悟したのは、3年生の最初に行われた解剖実習の時。
解剖されていく人体を見ながら、「この人はなぜ亡くなって、なぜ献体されることになったのだろう」と考えた。そして、その方の気持ちに思いを馳せると、生半可な気持ちで医師を目指してはいけないという気持ちが強くなったという。
そしてもう一つ。医療について学ぶうちに、小川さんは不思議に思ったことがあった。「それは、人間の体の構造はみな同じなのに、なぜ一人ひとりの考えや行動がこんなに違うのだろうということでした」
医学部生が初めて実際の患者さんと向き合うのは名古屋市立大学病院で行われる病院実習の時。
事前に、先生から「まず患者さんのベッドサイドで話を聞きなさい」と指示され、ある患者さんに体調をお聞きしたところ「なぜあなたに話さなきゃいけないの?」と返された。「日焼けできない病気のため昼間に外出できないから」と、夜中に学校で友人と遊んだことを自慢げに語る少女がいた。一方、「元気に働いている看護師さんたち羨ましいな」と切々と語る女性がいた。
医学部在籍時、
大学祭の模擬病院に参加する小川さん(右)
「病気については教科書で勉強してきたつもりでしたが、患者さん一人ひとりに異なる病態があり、生活があり、考えがある。それほど重くて大切なことは、教科書のどこにも書いてないんです」
どうすればそんな人たちの力になれるか、それから小川さんはずっと考え続けた。
「私にとって名市大医学部で過ごした6年間は、医師という仕事の責任の重さと、もう逃げられないという覚悟を決めるための期間でした」
医学部在籍時、
大学祭の模擬病院に参加する小川さん(右)
病理という選択肢
開業医の父の影響で、最初、小川さんは内科医を目指していた。しかし当時、病院の説明会で話を聞くと、女性が内科医になるのは無理だと言われた。そんな時代だったのだ。
「どんどん自信をなくし、当時麻酔科で働いておられた津田喬子先生に相談したところ、病理という選択肢があることを教えていただきました」
病理とは、患者さんの体内から内視鏡検査等で採取した細胞を調べて病気の診断を行うこと。近年では、細胞内に発現しているタンパク質の種類を見て、投与する薬品を決めることにもつながる。患者さんと直接関わることはないが、医療人としてとても重要な分野を担うことに変わりはない。
「それに、病理の経験は、もしその後どの診療科に進んでも必ず役に立つと思い、名市大の病理学教室に進むことを決めました」
入局後は、毎日顕微鏡をのぞき、細胞に異常がないかを調べた。そして自分と同年代の女性の細胞にがんが見つかったりすると、それを患者さんに告げなくてはならない医師の気持ち、告げられる患者さんの気持ちをつい考えてしまい、診断で人生が変わることの重みを痛感せずにはいられなかった。
翌年、小川さんは病理に関する専門性をさらに高めるため、大学院に進学。第一病理学教室(現在:実験病態病理学の研究室)に所属し、発がん研究を行った。
その後はアメリカ・ネブラスカ州立大学に留学し、ポスドクとして膀胱がんを引き起こすp53遺伝子の異常などを研究。帰国後は名古屋市厚生院付属病院(現在:名古屋市立大学医学部附属みらい光生病院)で4年、名古屋市立東市民病院(現在:名古屋市立大学医学部附属東部医療センター)で8年、病理診断とがん研究に従事した。
「いつか臨床に移り、患者さんと向き合う仕事をしようと思っていたのですが、知らないうちにその機会を逸してしまいました(笑)」
新たな分野への挑戦
2009年、小川さんに転機が訪れる。第一病理学教室の先輩である、高橋道人先生や廣瀬雅雄先生らが部長を務められた国立医薬品食品衛生研究所の方から研究職のお誘いをいただいたのだ。
国立医薬品食品衛生研究所とは、医薬品だけでなく、医療機器、さらには化粧品、洗剤などの日用品、食品、包装用プラスチックなど、私たちの生活環境に存在する化学物質、微生物を評価・研究する機関。分野としては、医学というよりも薬学に近い。
しかし小川さんは当時、内閣府の食品安全委員会で専門委員として動物に残留した薬品成分の安全性評価に携わっていたこともあり、そのお誘いを受け入れて新しい挑戦をすることに決めた。
どんな物質も、過剰に摂取すると体に悪い影響がある。国立医薬品食品衛生研究所では、どの物質をどれだけ摂取することが適切か、どれほど摂取すると悪影響や発がんの可能性が高まるか、研究室でラットを使った実験で確かめる。
「私は、そうした実験を効率化するための新たな手法に関する基礎研究に携わっています」
一見、今までやってきたことと違う研究に携わっているようにみえる。しかしこの研究は、病理診断とまったく無関係の分野ではないと小川さんは語る。
「病理の診断で身に付けた技術やスキルは、安全性評価の手法と同じ。健康を守るためという意味で、今の研究は臨床病理の延長線上にあると思っています」
臨床病理と基礎研究の違いとは、モチベーションのあり方かもしれない。臨床病理で患者さんの検体を調べていた頃は、小さな異変を早期発見し、患者さんを救うことがやりがいだった。
しかし今は、誰も手がけたことのない分野で小さな知見を積み重ね、やがて多くの人を救う発見になるという手応えが楽しい。
「しかも、私たちの研究結果は日本や世界の医薬品や食品、添加物などの安全基準に影響するわけですから、責任の重さでは医師と変わらないと思っています」
臨床医以外の選択肢もある
大学3年生のとき、解剖実習を経験して臨床医になる覚悟を決めた小川さんは、病理の医師として経験を積み、基礎の研究者として多くの論文を発表し、今日では行政機関で基礎研究に携わるなど、次々と挑戦するステージを変えてきた。
このキャリアを踏まえて、小川さんは医学部の学生に伝えたいことがあるという。
「医学部の学生は、どうしても臨床医が唯一の選択になりがちです。でも、臨床医ではなくても、多くの人を救う仕事はできると思います。私はたまたま周囲の人々にご縁をいただき、行政の研究機関に自分の居場所を見つけることになりました。もしみなさんが進んだ先の環境が自分に合っていなかったら、別の道も探してください。それは逃げるということではなく、変わるということ。どんな選択をしても、今までの経験は必ず役立つはずですから」
プロフィール
小川 久美子(おがわ くみこ)さん
国立医薬品食品衛生研究所 病理部 部長
[略歴]
1988年 名古屋市立大学 医学部 卒業
1993年 名古屋市立大学 大学院医学研究科 修了
1993年 名古屋市立大学 大学院医学研究科 第一病理学教室 助手
1993年 米国ネブラスカ州立大学 医学部病理微生物学 ポスドク
1996年 名古屋市立大学 大学院医学研究科 実験病態病理学 助手
1997年 名古屋市厚生院付属病院 病理担当
2001年 名古屋市立東部医療センター 病理部
2009年 国立医薬品食品衛生研究所 病理部
国立医薬品食品衛生研究所安全性生物試験研究センター主催で行われた研究会での発表の様子
中学から美術が好きで油絵を描いていた小川さんは、名古屋市立大学の美術部に入部した。現在では美術部は存在しないが、当時は他大学と共に愛知県美術館で毎年学生展示を開催するなど、本格的な活動をしていたという。「顕微鏡画像を見て病気を診断するという病理の分野に私が進もうと思ったのは、もしかしたら画像を見るのが好きだったとことが関係していたのかも知れません」と小川さんは笑う。現在、さまざまな有名美術館が密集する東京で暮らしているにもかかわらず、仕事が忙しくて美術館めぐりをする時間が確保できないのが悩み。