卒業生の声
粗大ごみという名の宝
教育基本法では、一般的に高専(高等専門学校)は5年制とされる。そして、より専門的な内容を学びたい学生のために、多くの高専では2年課程の「専攻科」が用意され、専攻科修了後は大学院に進学という道もある。
子どもの頃からものづくりに関心を持ち、電気仕掛けのおもちゃを分解しては自分なりに組み直して「よく分からない物をつくっていた」という高橋大悟さん。「自分で考え、工夫して新しい物をつくる」という彼のものづくりマインドは、高専で得た電気電子の専門知識によって拍車がかかった。
「高専時代、学校のすみに、他の学科で使った粗大ごみを置いておくスペースがあり、私はよくガラクタを持ってきて、あいかわらずよく分からない物をつくっていました」
高専の授業に飽き足らなかった高橋さんはものづくりをもっと楽しむために専攻科に進んだ。そして、奇しくも彼がよく訪れた粗大ごみ置き場の中から、彼は後の人生につながる重要な宝物を発見することになる。
「専攻科に進んだばかりのある日、粗大ごみの中に車椅子があるのを見つけました。ちょうどこれから専攻科で研究するテーマを探していた時期で、自動車のワイパーモーターと組み合わせて電動車椅子の研究をしてみようかと思いついたんです」
さっそく企画書をつくって先生に提出した。先生からもOKが出て、そこから2年間、高橋さんは車椅子の電動化装置の研究に全力で取り組んだ。
ところが卒業間近になって問題があることが発覚した。専攻科では、学生が卒業するには各人の研究成果を学会で発表しなくてはならない。しかし当時、その専攻科には車椅子の研究実績がなく、先生から「キミの研究をどの学会で発表すればよいか分からない」と言われたのだ。
「仕方なく、私が自分で『ライフサポート学会』を探して発表させてもらい、無事に卒業できました」
ものづくりの実験に明け暮れた7年間は極めて楽しかった。この楽しい日々をさらに長続きさせるため、加えて、車椅子の開発を通して興味を持った半導体についてもっと深く学びたいと思った。そして彼はさらなる宝探しに出掛けたいと考え、大学院に進むことを決めた。まだあまり知られていない、できたばかりのシステム自然科学研究科で新たな冒険を始めることとなる。
自由に考え、自由に研究する環境
彼が選んだのは、名市大大学院システム自然科学研究科の奥戸雄二教授(元・本学名誉教授)の研究室。彼が進学した当時はまだ開設2年目ということもあり、研究室には修士2年の先輩が2人、修士1年が高橋さんを含めて2人の合計4人だけ。講義後には全員で研究室に集まり、半導体に関する英字の学術論文を分担して翻訳し、残りのメンバーに解説する「輪講」や、学会発表のプレゼンテーションの練習や資料の見直しなどを行った。
同研究科で修士1年の2人に与えられた研究のテーマは、まだ実用化されていない磁性体を用いた不揮発性メモリ。
「今日の主流であるフラッシュメモリは電荷でON/OFFを切り替えるタイプ。小型化しやすい反面、宇宙線に当たるとデータが消失する可能性がありました。一方、私たちが研究していた磁性体メモリは、小型化が難しい反面、データが消えにくいという特長がありました」
研究は彼と同級生で分担して行われた。
「どんな機構の電磁コイルをどのように配置すればメモリとして成立するか、という構想を立てるのが私。それらを実際に機能させるためのシミュレーションを行うのが同級生。これを繰り返しながら、磁性体メモリが実現可能かどうかを探っていきました」
毎回、何をゴールとして実験を行うかは先生と相談して決めるが、そこにたどりつく実験方法は自分たちで自由に決めてかまわない。さすがに粗大ごみから宝物を拾ってくるようなことはなかったが、彼にはもっと素晴らしいアカデミックな知の宝物があった。
システム自然科学研究科の特徴は、その名の通り、自然科学系の講義が多く幅広い知識が学べること。この環境で半導体とはあまり関係ない講義を受けるうちに、彼は何度も「この考え方は半導体の研究に応用できるかも知れない」というヒントを得たという。
また同研究科には外国人留学生や社会人の院生も多く、さまざまな考え方に触れられたことも彼の視野を広げるのに一役買っている。
その当時の彼らの研究では「磁性体型メモリは、実用化の可能性あり」と結論づけられた。しかしその後、フラッシュメモリの小型化・高性能化のスピードに勝てず、実際に量産化されるまでには至っていない。
「もしかしたら、宇宙旅行が盛んになれば、量産化される可能性はまだあると信じています」
先生の教え
卒業後、高橋さんは日本を代表する半導体メーカーであるルネサスエレクトロニクス株式会社の前身、NECマイクロシステム株式会社に入社。半導体の設計エンジニアを経て、現在はルネサスエレクトロニクスの車載エンジン制御ソリューション事業推進部に所属。セールスエンジニアとして、自動車用マイクロコンピュータに関するお客さまからの技術課題にソリューション提案を行う。
「今日、ITなどの先進技術との融合により、自動運転をはじめとする未来技術が次々と現実のものとなりつつあります。私の仕事は、こういった未来の自動車を誕生させるお手伝いをすること。常に最先端技術を学び続けることはとても大変ですが、その分、大きなやりがいを感じています」
そんな彼の仕事には、名市大の大学院で学んだ2つのことが役立っている。1つは、大学院で学んだ半導体に関する基礎知識。そして2つ目が、研究室で行った輪講や、学会で研究発表するための資料づくり。
「たとえば、メーカーでは開発中の新製品を社内で審査する『レビュー』というプロセスがあります。ここで経営陣を説得するのもエンジニアの仕事。だから、専門的な内容を簡潔に説明するためにみんなで悩み、分かりやすい資料づくりをしなくてはなりません。そこに、研究室での経験がとても役に立ちました」
そしてもう1つ、彼は奥戸先生から学んだことの中で今でも実践していることがある。
「研究室の飲み会などがあると、奥戸先生は必ず全員に『飲み会の翌朝こそ、誰よりも早く研究室に来なさい』と言われました。実際、先生は前夜にどれだけ遅くまで飲んでいても、翌朝7時半には必ず研究室に来ていましたから、私たちは反論できませんでした」
それは、自由に考え、自由に決められる大学院だからこそ「自分を律する一線を持ちなさい」という奥戸先生の教えだったのかも知れない。先生にそう言われてから、彼は飲み会の次の日は早めに家を出るようになった。
彼が社会人になって数年後、奥戸先生は他界されてしまった。しかし大学院を修了して15年が経過した今でも、飲み会の翌日には奥戸先生の言葉を思い出し、彼は早く出社しているという。名市大での教えを守りながら、少年時代から宝探しはこれからも続く。
プロフィール
高橋 大悟(たかはし だいご)さん
ルネサスエレクトロニクス株式会社勤務
[略歴]
2003年3月 名古屋市立大学 大学院システム自然科学研究科 生体高次情報系生体情報専攻 修了
ものづくりが大好きで、名市大大学院を選んだ高橋大悟さん。高専から名市大大学院までものづくりに関わる中で味わった日々は、まるで「遊んでいるような毎日でした」と語る。その言葉どおり、学生時代には「白熊のリアルな着ぐるみを着てスキー場を滑りたい」という欲求にかられ、着ぐるみを自作したという。また数年後には、さらにリアルさを増した着ぐるみを着たまま、名古屋市の東山動物園のボランティアガイドを務めたという武勇伝もある。