卒業生の声
看護師ではなく保健師を選んだ理由
「ひとくちに看護師といっても、急性期や慢性期、周産期、精神、緩和、さらに地域医療など、さまざまな分野があります。だから看護学部では、広い視野で自分がどんな看護師になりたいかを考えることが大切だと思います」と語るのは、看護学部を2006年に卒業した鈴木愛さん。
彼女が看護師になろうと決めたのは「一生続けられる仕事」だと思ったから。しかし名市大で学ぶうちに「これは本当に自分が望んでいた仕事なのか?」という疑問に突き当たり、大学を辞めようかと思ったこともあった。ところが2年次に地域看護の授業が始まると、自分が本当に望んでいた仕事は看護師よりも、地域看護の担い手である保健師だったということに気づいたという。
看護学部では、学生が3年次からの所定のカリキュラム(保健師国家試験受験資格コース:1学年20人程度の選抜制)を履修すれば、卒業時に保健師の受験資格が得られる。
「看護師も保健師も、患者さんに寄り添う仕事という点では同じ。でも看護師が病気から『回復する』支援をするのに対し、保健師は、地域の人々が本来持っている力を『引き出す』ことで、病気を防ぎ、その人たちが自立して暮らせるよう支援をする仕事。私がしたかったのは、まさにその仕事でした」(鈴木さん)
豊田市役所の介護保険課に勤務する西田悠一郎さんは、看護学部を2013年に卒業した。しかし彼は、入学当初は保健師という仕事があることを知らなかった。
「もともと精神科の看護師をめざしていました。でも4年次に豊田市の障がい福祉課へ実習に行った時、病院で看護師が行うケアと同じくらい、家庭で患者さんの家族が長期的に行うケアが大切だということに気づきました」
その時、患者さんとそのご家族を支え、幅広い視点で患者さんの自立する方法を探る保健師という仕事に興味がわいたのだという。
地域の人々を支える黒子である
一般的に、保健師の活動の領域は、「行政分野の保健師の活動」「産業看護」「学校看護」に大別される。その区分に従えば、鈴木さんは名古屋市、西田さんは豊田市に所属する行政分野の保健師といえる。ところが看護師にさまざまな分野があったように、ひとくちに行政の保健師といっても、所属する自治体によって彼らの業務内容は異なっている。
鈴木さんの勤務地は、名古屋市の中でも二番目に人口の多い中川区。
「中川保健所には区役所以外に分室があり、私は分室で唯一の保健師として、現在は1年に500~600件の母子健康手帳の交付や、乳幼児健康診査、予防接種、母子保健の相談、訪問指導など、さまざまな業務を担っています」
それだけに、介護を必要とする方のお宅に彼女が伺うことはほとんどないという。
一方の西田さんは豊田市の介護保険課に所属し、現在は市内45人の介護調査員が行う年間1万5000件もの認定調査のとりまとめを行う。そして鈴木さんと異なるのは、西田さん自身が介護希望者の自宅に出向き、認定調査を行うことがあるということ。自分がきちんと話をお聞きしないと、その家族に合った介護計画が立てられない。常にそんな使命感を抱き、彼は介護希望者のお宅を訪ねる。
「介護の問題は、家族や仲の良い友達にも話せないことがあります。でも、保健師の私には何でも包み隠さず話していただけますし、最後に『聞いてくれてありがとう』と言ってもらえることも珍しくありません」
比較すると、同じ保健師といっても二人の業務は異なる。共通しているのは、人と人とをつなぎ、さまざまな社会の仕組みを活用することで、地域の人が本来持っている力を引き出す仕事だということ。この活動を通して二人は地域で暮らす人々を支えている。それが、看護師と保健師の最大の違いでもある。
「あくまでも主役は介護を受ける地域の人たち。保健師は、その人たちが自立するためのお手伝いをする黒子(くろこ)のような存在なんです」(鈴木さん)
自主性の大切さを大学で学ぶ
そんな保健師の仕事をする上で、本学で学んだことはどのように生きているのだろう。
「自分で考え、自主的に行動できる人材を育成するという看護学部の方針の大切さを、社会人になって気づきました」(鈴木さん)
学生時代、看護の第一歩といえる看護記録の書き方について、よく先生から「枠組みがない」と注意されたという鈴木さん。当時はピンと来なかったが、社会人になってからその意味を痛感したという。
「臨床の現場では、テキストに出てくる事例とまったく同じものは滅多にありません。ほとんどが初めてのケースですから、私がその場で判断し、どのような方向性をもって支援をするのか、その枠組みをつくらなくてはなりません。社会人になってから、先生はそれを私に伝えたかったのだと気づきました」
西田さんにも忘れられない経験がある。 「ある相談者に『自分が何かしなければ』という気持ちで接していたら、上司に『最近、西田君が担当する患者さんの相談回数がやけに増えているけど、大丈夫か?』と指摘されたんです」
同じ方からの相談が増えるということは、頼られている証拠である反面、その方が抱える問題が解決していない証拠でもある。
「もちろん、患者さんのために何ができるかを考えることは大切です。でも保健師が介護を受ける人のためを思って何でもしてしまうと、逆に相手の自立を妨げてしまうかもしれません」
では、保健師の仕事とは何だろう。
「理想は、地域の人々が互いに支え、支えられている信頼関係を築くこと。逆説的ですが、私たちに相談の電話がかかってこない状況が一番の理想かも知れません」(鈴木さん)
「行政保健師とは、条例や予算の策定など、行政に関する幅広い知識に精通した上で、地域の人びとを支えていく仕事です」(西田さん)
二人とも、経験を積むごとに保健師の仕事の難しさと奥深さを実感するようになった。
「だから今は、保健師の仕事を究めるために、大学院に進むことも検討中です」(鈴木さん)
「実務5年でケアマネージャーの受験資格が得られるので、ぜひ挑戦したい。また近年、法務や政策をもっと勉強して『自治体法務検定』にも挑戦するつもりです」(西田さん)
これからも、二人は同じ保健師でありながら、異なるアプローチから、地域の人々の健康と自立した生活を支え続ける。
プロフィール
鈴木 愛(すずき あい)さん(写真左)
名古屋市役所 中川保健所 保健予防課
[略歴]
2006年 看護学部 看護学科 卒業
大学時代はなるべく多くの人とつながりたいという理由から、日本拳法部に入部して日々練習に励んだという鈴木さん。他学部の友達のものの見方が看護学部の学生とはずいぶん違うことに驚くと同時に、大いに刺激を受けた。大学を卒業して間もなく結婚し、一児を授かった後、保健師として名古屋市に採用される。現在では理解ある職場の人々にも支えられ、子育てと仕事の両立を実現させている。
西田 悠一郎(にしだ ゆういちろう)さん(写真右)
豊田市役所 福祉部 介護保険課
[略歴]
2013年 看護学部 看護学科 卒業
看護学部は男子学生が少ないために仲間意識が強く、学生時代は学年を超えて男子学生がよく集まって交流したという西田さん。特に同学年の5人は結束が固く、今でも定期的に「男子会」を開く。良きパパでもある彼は、奥さんと子どもを駅や保育園に毎日車で送り届けてから出勤している。