卒業生の声
合成と実験の日々
木全絢子さんが高校の頃から化学を好きだったのには、理由があった。
「元素の組み合わせによって、さまざまな性質を持つ物質が生まれることが、まるでパズルのようでとても面白かったんです」。
将来は化学で世の中の役に立ちたいという夢を持ち、木全さんは本学の薬学部に進んだ。そんな彼女だけに、大学の授業で最も面白かったのは有機化学の実験だった。高校までは頭の中の話だった元素パズルのピースを、実際に自分の手で組み合わせて有機化合物をつくる。それが楽しかった。この楽しさを追い求めるため、彼女は4年になった時に宮田直樹教授の「薬化学研究室」を選んだ。
「薬化学で取り扱っている課題の中には、有機化学を基盤とし、求める薬効を発現する有機化合物をつくる学問もあり、私にピッタリの分野でした」。
宮田先生が提示するいくつかのテーマの中から、彼女はプリオン病(狂牛病)への薬効が期待される化合物の研究を選んだ。その日から、分析と実験の日々が始まった。
プリオン病に効果がある化合物の一部を、自分で考えた仮説に基づいて別のものに置き換え、生物活性(生物の細胞などで目的とする作用を示すこと)があるかを調べる。あるいは、化合物の様々な理化学的性質と生物活性の強さとの関係を調べる。どのような化学構造にしたら生物活性が強くなるのか、またなぜ効果があるのか、得られた結果を見て次の仮説を考え、次の実験の準備にとりかかる。こうして、なるべく多くの化合物で調べることで研究の精度を上げる。このサイクルを延々と繰り返してアプローチを行った。
「結果が出るまでに1~3カ月かかるため、忍耐力が求められる学問だと思います」。
また一般的に「化合物の合成」と「生物活性の実験」を同じ人が行うことは少ない。なぜなら、どちらもそれほど高い専門性が要求される作業なのだ。しかし宮田先生の研究室では、一人の担当者が合成と実験のどちらも行う。パズルの例でいえば、自分で問題をつくり、自分で答え合わせをするようなものだ。彼女はそれが面白くて仕方がなかった。しかし、その楽しみを味わいつくすには、1年間の卒業研究(※)は短すぎた。より多くの実験を通してプリオン病の特効薬に少しでも近づくため、彼女は大学院に進んだ。
彼女が証明してみせたこと
大学院でも宮田研究室に所属し、彼女は合成と実験に没頭した。何度トライしても期待する結果は得られなかったが、どれだけ手応えがない毎日でも、彼女は一度でもそれを辛いと思ったことはなかったという。
「次の実験のことしか考えていませんでした。次にどの条件を変えれば可能性が広がるか、そればかりを考えていました」。
また、自分の思い通りに実験をさせてもらえる環境も、彼女がストレスなく研究に打ち込むことができた理由の一つだった。
「こういう実験がしたい、この化合物を調べてみたいと先生に言うと、先生は必ず『やってみなさい』と言ってくださいました」。
その結果、木全さんは研究室にあった計測機械・器具のほぼすべてを使って実験をさせてもらった。修士の2年生にはたんぱく質の合成がしたいと考え、別の研究室で指導を仰いだこともある。しかし、こうした彼女の懸命の努力が実を結ぶことはなかった。
「結局、プリオン病に効果がある有機化合物を発見しても、なぜ効果があるのか説明することはできませんでした」。
無論、彼女の努力が無駄になったのではない。彼女は、彼女のやり方ではたどり着けないことを証明したのだ。この知見を基礎にして、いつかこのテーマを引き継いだ研究者が、別のアプローチでプリオン病の薬を見つけるかも知れない。そんな日がくることを、彼女は心待ちにしている。
分析研究のプロになる
大学院前期課程を修了後、彼女には後期課程に進むという選択はなかった。
「最先端のアカデミックな研究も面白そうでしたが、私は、よりお客様に近いところで世の中のお役に立てる仕事がしたかったんです」。
そして彼女は富山化学工業に入社し、抗菌薬の品質管理と分析研究を任された。
「たとえば医薬品のさまざまな開発段階で求められるデータに対して、どのような試験を行えば良いかを検討し、自分で実際にデータを採取しました」。
入社から3年目、自ら計測した実験結果をまとめ、医薬品の承認申請書類を作成するという仕事を任された。ようやく、世の中の役に立つという目標に少しだけ近づけたことが、彼女にはとても嬉しかった。
「承認申請はとても時間がかかるため、まだ私が関わった医薬品は市場に出ていません。医薬品が世に出て、ようやく一人前です」。
目標は、「分析研究のプロ」として社内外から認められること。そのためには、法令関連の知識など、まだまだ勉強しなくてはならないことは多い。
「将来、医薬品開発の初期段階から関わる研究者になりたいと思っています」。
医薬品の開発の初期段階とは、物質の創製や構造・理化学的性質の解明、スクリーニングテストなどをさす。つまりそれは、彼女が大学で何度も繰り返してきた有機化合物の合成と実験によるデータ採取のプロセスに他ならない。こうして医薬品の初期から商品化まで、新薬開発のすべての工程を分析面でサポートすること。それが、彼女の言う「分析研究のプロ」なのだ。
そして今日も、彼女は大学時代と変わらず、真剣に、そして楽しそうにデータを取り続けている。
※当時、薬学部は4年制。2006年度の入学生より現在の6年制・4年制並列となった。
プロフィール
木全絢子さん
富山化学工業株式会社 綜合研究所 分析研究部
[略歴]
2006年 名古屋市立大学 薬学部 卒業
2008年 名古屋市立大学 大学院薬学研究科 博士前期課程 修了
富山化学工業株式会社 入社
「企業の研究室で見る計測機械の多くが大学で使っていたものと同じだと知り、名市大の設備が充実していたことを再認識した」という木全さん。社内には名市大出身者も多く、中には同じ宮田ゼミ出身者もいるそうです。宮田先生自身も北陸に出張があると必ず木全さんたちを訪ね、おいしいものを食べながらプチ同窓会が開催されます。彼女と本学との交流は、これからも長く続いていきそうです。