卒業生の声
ウイルスを選んだ天邪鬼
2019年末、中国で発生した新型コロナウイルス感染症は、翌年には世界中にパンデミックを引き起こした。いわゆる「コロナ禍」である。
この未知のウイルスが発生して以来、本人曰く「まるで地獄のように忙しい日々」を過ごしたのが、塩野義製薬株式会社 バイオ創薬研究所 ワクチン領域長の大本真也(おおもとしんや)さん。
大本さんは塩野義製薬が開発した新型コロナワクチンの研究責任者であり、またニュースなどで大きく報道された抗インフルエンザウイルス薬「ゾフルーザ」の開発者の一人。そして、名古屋市立大学のOBでもある。
大本さんの出身は神戸だが、母親の出身である名古屋には親しみがあった。一人の医師は、目の前の患者さんを治すことができる。しかし一つの医薬品は、世界中の人を救うことだって不可能ではない。そんな想いを抱き、名古屋市立大学の薬学部に進んだ。自認する性格は、ひとことで言うと天邪鬼。
「人と同じことをするのが好きじゃないんです」
だからアルバイト選びも時給は二の次。とにかく自分がやったことのない職種を次々と移り変わった。アルバイト遍歴はレストランやボーリング場のスタッフ、結婚式場カメラマンのアシスタント、交通量調査、専門学校の講師など、学部・大学院時代合わせて10種以上。やったことがないから、やってみる。その姿勢が、やがて大本さんをウイルス研究に導くことになる。
学部時代には、「得意な化学と苦手な生物学のどちらも学べる」という理由で、生化学の研究室を選択した。ここで大本さんが研究テーマに選んだのがフォーミーウイルス。遺伝子治療におけるベクター(外来遺伝子のDNAやRNAを体内へ運ぶ役割)になる可能性を持つウイルスである。
「当時の医療研究分野では遺伝子治療が一つのブームだったんです。そしてこの時、研究室でもウイルス研究に着手し始めていました。自分の研究が遺伝子治療に貢献できるのであればやってみたい!と考えて、ウイルスを研究テーマにしました」
大学院研究室でBBQ 大本さん(最前)
その後、2001年、名古屋市立大学大学院薬学研究科の博士前期課程(修士課程)に進学。大本さんはフォーミーウイルスの転写メカニズムの一端を解明し、より効果的なベクターを作るための研究を行い、論文を執筆した。修士課程としては十分な成果に思えるが、大本さんは納得していなかった。
「それどころか、自分は薬学部で何も強みを得ることができていないと思っており、これからの人生で何を強みにしていけばいいのか、ずっと迷っていた時期でした」
そこで2003年、名古屋市立大学大学院薬学研究科の博士後期課程に進学。ここで本格的にウイルスを研究し、博士の学位を取得することに決めた。
「せっかくウイルスを研究するなら、病気や疾患に関わる病原性のあるウイルスを解明したくて、博士後期課程ではエイズウイルスにフォーカスした研究をしました」
こうして5年間、大本さんはウイルス研究に明け暮れる。遺伝子改変したウイルスを人工的に作製し、その遺伝子の機能を解析。この遺伝子改変ウイルスを細胞や動物に感染した場合、ウイルスの増殖や病態にどのような変化が現れるかという仮説を立て、実際の実験結果と比較して次の実験に移る日々。この研究の繰り返しによって、目標としていた博士号を取得することができた。
こうして、大本さんが言うところの「強み」を手に入れたが、それでも就職活動では大いに苦労したという。
「当時の医療研究分野は糖尿病や高脂血症といった生活習慣病とかが主流で、感染症やウイルスの研究をしている企業は決して多くなかったんですよ」
世界に例のない新薬に挑む
そんな大本さんが就職先として選んだのが塩野義製薬だった。
「当時、塩野義製薬はエイズの治療薬を研究しており、ここなら名市大で培った私の強みが生かせると思っていました」
入社してすぐ、大本さんに大きな転機が訪れた。同社の先輩研究者が、エイズの治療薬開発に用いてきた手法が、インフルエンザの治療薬開発にも応用できることを提案。その研究プロジェクトのメンバーとして抜擢されたのが、入社したばかりの大本さんだった。
当時、インフルエンザの薬としてはノイラミニダーゼ阻害剤が知られていたが、これらは1日に2回、5日間の服用が必要で、しかもウイルスの増殖を抑える効果はそれほど高くない。
「一方、私たちが目指したのは、インフルエンザウイルスのメッセンジャーRNA(mRNA)を合成する転写反応を阻害してウイルス増殖を防ぐという全く新しい仕組み。これならノイラミニダーゼ阻害剤と違ってウイルスの増殖を強力に阻害でき、また従来の薬よりも少ない服用回数でインフルエンザの治療にも予防にも使えるはずです」
研究は順調に進んだ。しかしある時期から、思うように研究が進まず、社内では撤退を求める声も出てくる事態に。それでもメンバーは誰一人として新薬開発の成功を疑っていなかった。そして大本さんを含め大勢の研究者たちが10年以上の歳月をかけて開発した新薬は「ゾフルーザ」と名付けられ、2018年2月に厚生労働省が承認。翌月には販売も開始された。
「最初は先輩と私の2人で始めた研究でしたが、この時には100名以上の大きな規模のチームになっていました。一人ひとりがそれぞれの強みを生かして努力したからこそ、上市できたと思っています」
しかしその翌年に大本さんを待っていたのは、冒頭に紹介した「地獄の日々」。コロナ禍である。
「塩野義製薬でも早急にワクチンを開発するという話になり、その研究リーダーを託されました」
ワクチン開発には、ウイルスに関するあらゆる情報を収集しなくてはならない。ところがパンデミックの混乱の中、毎日、世界中からウイルスに関する新しい情報が飛び込んでくる。
「毎日アップデートされる情報を追いかけましたが、量が多すぎて自分の中で整理することが難しい状況でした。しかし、一刻も早くワクチンを完成させなくてはなりません。私たちはワクチンを開発した経験がある会社ではなかったので、すべて模索しながら進めていくしかありませんでした」
大本さんたちが目指したワクチンは、組換えタンパク抗原に免疫を増強する物質を添加した製剤で、コロナ禍以前から使用されていた製造方法でもあり、インフルエンザワクチンなどで使用実績が豊富であった。そして2022年11月、当時国内開発では初めて、塩野義製薬が開発した新型コロナウイルス感染症ワクチン「S-268019」が厚生労働省へ承認申請された。
他にも長崎大学と共同でマラリアワクチンの開発に取り組むなど、大本さんは今も忙しい毎日を送っている。
「創薬研究に、失敗と挫折はつきもの。でも、それを乗り越えて社会に薬を送り出して初めて価値が生まれます。そして、私たちが生み出した医薬品が、多くの人の生命と健康を救っていく。この実感こそが、私にとって最大のやりがいです」
今でも名市大が大好き
今でも交流のある矢木先生(右)と久松先生(中央)と大本さん(左)(2023年6月撮影)
今でも大本さんと名古屋市立大学の絆は深く結ばれている。
塩野義製薬の社内には、名古屋市立大学卒業生による「名市大会」というグループがあり、大本さんも年に1度みんなで酒を酌み交わす。
また卒業後にキャンパスを訪問した際、薬学研究科の矢木宏和先生や久松洋介先生と再会し、今でも交流が続いている。
プライベートだけでなく、2018年には就職説明会に、2023年には大学院の「医薬品産業特論」に招かれ、大本さんが開発に携わったゾフルーザや新型コロナワクチンを例に医薬品やワクチンがどのようにつくられるかを実体験に基づいて講義した。
「今の私があるのは名市大のおかげ。私は名市大が大好きです」
今でも交流のある矢木先生(右)と久松先生(中央)と大本さん(左)(2023年6月撮影)
名古屋市立大学の印象を尋ねると、アットホームという言葉が返ってきた。
「大学院の1年目、特別研究学生に選ばれ、東大の研究室に国内留学させてもらいました。東大はキャンパスも大きく、多彩な研究者もおられ、大いに圧倒されたものです。でも、それがすべて良いとは思えませんでした。先輩、後輩との距離が近いところや、先生がいつでも相談に乗ってくれるところなど、私にとっては名市大の環境と雰囲気が落ち着いて研究できると再認識しました」
今、塩野義製薬で研究をしている最中も、何か疑問に思う事象が起きると、すぐ周囲に「これ、どう思う?」と声をかけてしまうという大本さん。
「この癖は、きっとアットホームな名市大に長くいたことが関係あると思っています(笑)。今も、名市大の後輩が活躍しているというニュースを聞くとすごく嬉しくなるんですよ」
プロフィール
大本 真也(おおもと しんや)さん
塩野義製薬株式会社
バイオ創薬研究所 ワクチン領域長
[略歴]
2001年 名古屋市立大学 薬学部 製薬学科 卒業
2003年 名古屋市立大学 大学院薬学研究科 博士前期課程修了
2006年 名古屋市立大学 大学院薬学研究科 博士後期課程修了
2006年 塩野義製薬株式会社
時々、雑誌のインタビューなどで「プライベートのご趣味は?」と聞かれるのが苦手だという大本さん。本当のことを言えば、「家族と一緒に平和に過ごす時間」と答えたいが、それだと納得してもらえそうにないので、「家庭菜園か、本を読むのが好きなので読書です」などと答える。「でも、本当はそれも少し違うんですよ」と大本さん。「私にとっては、研究をしたり、ウイルスのことを考えたりしている時間が一番楽しいんですが、これも趣味じゃないですよね」と笑って答えてくれた。