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卒業生の声

「デザインで世界を良くする」提出期限のない宿題に挑み続ける。

大雪の朝に現れた先生

幼少期から絵を描くことが好きだった古畑優実(ふるはたゆみ)さんは、芸術工学部(以下、芸工)の産業イノベーションデザイン学科1期生。高校生の時、ただ自分で絵を描くだけではなく人のためになる「デザイン」がしたいと考え、芸工に進学した。

「芸工には他に情報環境デザイン学科もあったのですが、情報という目に見えないものよりも、具体的な形をつくり出せる産業デザインの方が面白そうだと思い、この学科を選びました」

芸工で古畑さんを待っていたのは膨大な量の課題だった。

「たとえば、魚のアジのスケッチをさまざまな視点から100枚提出するという課題やウレタンの塊を削り出し、『速そうなモノ』を作るという課題など、ひとつ課題を終えるとすぐに次の課題が出されました。考えては手を動かし、手を動かしては考える毎日。提出日の直前には、徹夜をして作品を仕上げることもありました」

実習は大変だったが、友人たちと話し合ってアイデアを出しあいながら、一緒にものづくりをする時間はとても楽しかった。こうした経験を通して、古畑さんは3DCGやプロダクトデザインよりも、ポスターなどのグラフィックデザインが自分に向いていると気づくことができたという。

「言葉とビジュアルを使ってメッセージを発信することに興味が出てきて、3年生の時に森旬子先生のグラフィックデザインゼミを選びました」

この森先生のもとで、古畑さんはポスターや、パッケージデザインなどの制作を通してグラフィックデザインについて幅広く学んだ。

「先生はデザインの第一線で活躍していただけあって、とても厳しい人でした」

彼女が試行錯誤して仕上げた作品に対しても「これではこちらの意図は伝わらない」と、容赦ないダメ出しがされるのは日常茶飯事。

古畑さん(右)が所属した森ゼミでの集合写真

古畑さん(右)が所属した森ゼミでの集合写真

「当時は落ち込みましたが、社会人になると、あそこまではっきり指摘を受けることはなくなるので、今となっては先生の指摘は本当にありがたかったと思っています。それに、厳しい反面、とても優しい人でしたから」

ある大雪の日。古畑さんたちが前夜からゼミ室にこもり、徹夜で課題に取り組んでいると、早朝に森先生がいきなり現れた。

「大雪の中で、私たち全員に朝食のおにぎりを差し入れてくれました」

またどんなに忙しい時でも、学生が研究室に質問に来ると、先生は絶対に手を抜くことなく質問に向き合ってくれた。

「森先生には、仕事に対する厳しさと同時に、困ったら人に頼っても良いんだということを教えてもらった気がします」


(注)現在、芸術工学部では大学内に残り、深夜に及ぶ作業をすることは許可しておりません

手を動かすより、考えることが好き

そして森ゼミで取り組んだ一つの課題が、彼女の転機となった。

「芸工を紹介するダイヤグラム(概念図)を作成するという課題でした。個人で取り組んでもグループで取り組んでも良かったのですが、私は3人のグループで考えることにしました」

最初、そもそも芸術工学とはどのような学問なのか、何を学ぶのかを定義し、どのように図式化すれば見た人に伝わりやすいかを一人ひとりが考え、全員で話し合った。

「みんなの意見が合うことは少なくて、よく制作がストップしました。どうして良いか分からず、何度も話し合いを重ねました」

それでもみんなで前向きに話し合ううちに、少しずつダイヤグラムは形になっていった。このプロセスの中で、古畑さんは一つ気づいたことがあったという。

在学時、古畑さんがゼミで作成したダイヤグラム

在学時、古畑さんがゼミで作成したダイヤグラム

「私は、考えるのが好きだということ。グループには絵を描くのが上手な人、デザインがうまい人がいたので、実際に形にするのはその人に任せ、私は話し合いで出てくる意見をまとめてコンセプトを作るということを担当していました」

デザインとは、ただ見た目が美しかったり、目を引いたりすれば良いのではない。ある情報を伝達するという「目的」に対して、どのような媒体を用いて、どのようなメッセージを、どのように表現するかを考えることがデザインの重要な要素。

だから、関わる人から意見を引き出し、調整し、誰もが納得する解決策を導き出すのもデザインのプロセス。

「それなら、実際に手を動かすのは私よりもっと得意な人に任せて、私は多くの人の意見を調整し、社会にたくさん存在している課題を解決するという方向に進もうと思いました」

その背景にあったのは、当時の古畑さんが、デザイン以外にも政治や経済などの社会活動に関心を持っていたということ。

「その頃、私が住んでいた街を活性化させるために行政がさまざまな活動をしているというニュースを聞きました。この活動の中なら、私が芸工で学んだことが生かせることに気づいたんです」

そこで、公務員になりたいという想いを森先生に伝えると、意外にも先生はとても喜んでくれた。

「森先生からは、芸工の学生にデザイナーになってほしいとは思っていないと言われました。それよりも芸工で学んだデザインの考え方や技術を生かして、さまざまな分野で活躍してほしいと言っていただき、私としてもとても嬉しかったことを覚えています」

人を動かすデザインの力

今日、古畑さんは名古屋市役所の職員として勤務している。入職当時、芸工でデザインについて学んできた彼女は、市が作成するポスターや配布物がきわめて分かりづらいことに激しく戸惑ったという。

「メッセージを誤解のないように正しく伝えようとすると説明的になるのは仕方がないですが、これでは読む気にならない!ともどかしく感じていました(笑)」

区役所で勤務していた時には、市民の目に触れる広報物や配布物などを作れる機会が多かったため、部署内で制作する広報物は自分で率先して手がけるようにしていたという古畑さん。

「やっぱり市の広報物のデザインは、もっと良くなってほしいから。自分で何かを作るのは、半分趣味ですね(笑)」

もちろん古畑さんのスキルが市役所で生かされているのは、デザインの良さを判別する目だけではない。彼女は今、教育委員会事務局の企画経理課という部署で経理業務を担当している。たとえば、学校に新たにエアコンなどの設備を導入したいという要望が出てきた時など、その要望を彼女たちがまとめて市の財政局に予算を要求する。

「でも名古屋市も予算が限られており、その要求が認められるかどうかは、要求の仕方にかかっている部分もあります」

そのためには、この事業がどれだけ大切なのかを財政局に理解してもらわなければならない。そこで古畑さんたちが市の関係各所から状況や必要性をヒアリングし、客観的な情報を収集する。これらの情報を組み合わせ、なぜエアコンが必要なのかを財政局の担当者に理解してもらうための筋道を立て、要求をする。

「この時、多くの情報を集め、整理し、周りの人に意見を聞きながら、どの情報をどう伝えれば必要性を理解してもらえるのかを考えるプロセスは、芸工で意見がまとまらずに悩みながら、なんとか解決策を導き出した経験に近いかもしれません」

実際に手を動かしてものを作らなくても、「デザインの力」で物事を整理し、伝えていくことで人を繋ぎ、市の教育行政を、そして世の中を少しずつ動かすことができる。彼女は日々、その可能性を証明している。

プロフィール

古畑 優実さん

古畑 優実(ふるはた ゆみ)さん
名古屋市役所
[略歴]
2016年 名古屋市立大学 芸術工学部 産業イノベーションデザイン学科卒業
2016年 名古屋市役所

現在、育休中で毎日育児に追われている古畑さん。芸工では毎日課題に追われていたという。あまりに忙しくてサークル活動をする暇がなかったが、友人たちと一緒にものづくりをするのが楽しくて、「もしかしたらそれがサークル活動の代わりだったのかもしれません」と話す。そんな古畑さんと芸工との関わりはまだ続いている。「最近では私の結婚式に森先生をお招きしましたし、今でも先生と芸工の友人たちとで遊びに出かけたりしているんです」

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