在学生の声
始まりは、iPS細胞
現在、名古屋市立大学医学部4年の桐原聖子(きりはらせいこ)さんは中学生の頃、京都大学・山中伸弥教授がノーベル賞を受賞したというニュースを見て関心を持ち、山中教授の研究室の見学会に参加。
ここでiPS細胞の話を聞き、小さな細胞が多様な組織になっていくことに感動して医学の道に進もうと決めた。
科学の甲子園との出会い
高校2年生の時には科学技術振興機構主催の第6回「科学の甲子園」で総合優勝を果たし、高校3年生の時に日本代表としてアメリカの「サイエンス・オリンピアド」にも出場。
名古屋市立大学医学部では学年の学生代表として大学の事務室と交渉を行ったり、大学祭では事務局長として奔走。
これだけ聞けば、どれだけパワフルな女性かと思うが、本人は「私なんて本当に普通です」と謙遜する。
「偶然かもしれませんが、さまざまなご縁があったおかげで、これほどいろんな経験をさせてもらったと思っています」
もともと理数系の学びが大好きだった桐原さん。高校に入学して「科学の甲子園」という大会があると聞き、ぜひ出たいと思った。これは数学や物理、化学などの知識と、それらの知識を総動員したものづくりで勝敗を競うコンテスト。
「出場するには学内の選考があったので、理数系の勉強を必死に頑張りました」
こうして出場した桐原さんのチームは見事に全国大会で優勝し、日本代表としてアメリカで行われる世界大会に行ったことは前述した通り。しかし優勝したことと同じくらい、その大会での出会いが桐原さんには大きかった。
「会場で仲良くなった女の子の一人が医学部志望でした。その子といろいろと話すうちに、本気で医学部をめざすなら、私も頑張ろうととても刺激を受けました。また、同じグループの仲間が非常に優秀で、彼らにも感化され、将来の夢への気持ちがより一層高まりました」
ところが現役受験のセンター試験では、国語で失敗。そこで国語科目の配点比率が低い大学を受験したものの、桐原さんに合格通知は届かなかった。しかし医師になるという決意は固く、さらに1年間必死に勉強を続け、名古屋市立大学の医学部に合格した。
濃密な毎日が始まる
しかし、桐原さんの本当に必死な日々が始まったのはここから。
「高校時代のイメージでは、医学部は病気とその治し方を学ぶと思っていました」
しかし実際には、身体の骨格や筋肉の名称はもちろん、細胞を動かすためのイオンの働きなど、想像よりはるかに幅広くて深い内容を学ぶということを知った。
「どれも、全体の内容を理解するには一つ一つの仕組みを覚えなくてはならず、2~4年生の基礎医学や臨床医学は理解に加え暗記することもとても多いんです。私は覚えることが苦手なので、とても大変でした」
もちろん医学部の授業は暗記ばかりではない。名古屋市立大学では他学部と交流しながら学ぶ機会も多く、1年生の時には、医学・薬学・看護学の3学部合同の地域参加型学習がある。
その他にも桐原さんは救命救急に関する勉強会を行うサークルである「MeLSC」(メルシー:名市大ライフサポートクラブ)に所属。医療系学部である医学・薬学・看護学だけでなく文系学部も一緒に活動し、日々研鑽している。
また、臨床知識を早期から学べる「BRJ」(Beyond the Resident ProJect)の活動にも参加している。
桐原さんの参加した医・薬・看連携地域参加型学習での活動の様子(左)
「そう言うと勉強ばかりしていると思われるかもしれませんが、そんなことはないんです。
アルバイトもしましたし、休日に映画を観たり、クラスの友達や、他学部の友人とご飯を食べに行ったりカラオケで歌ったり旅行にも行ったり、ちゃんと大学生活を楽しんでいます(笑)」
みんなが優しい大学
桐原さんが名古屋市立大学を選んで良かったと思うのは、先生と学生、そして職員の距離がとても近いこと。
「特に、学年の代表委員の仕事をしている時にそれを感じました」
代表委員とは、学年の代表として学生たちと大学をつなぐパイプ役のこと。大学からのお知らせを学生たちに伝えると同時に、学生たちからの要望をまとめ、大学側に伝え、時には間に入って交渉することもある。
「そんな時、こちらがかなり無茶なお願いをしても、職員の方はきちんと話を聞いてくれますし、いつも学生のことを考えてご尽力いただいています」
優しいのは職員だけではない。先生や先輩も、みんなが優しかった。
「名市大では、どんな時でも、一人きりで放っておかれるという感覚を味わったことがありません。そんな面倒見の良さが、名市大の良さだと思います」
こうした名古屋市立大学の学風は、歴史の中で先輩が綿々と受け継いできたもの。そして今後は、桐原さんたちがこの伝統を後輩に受け継いでいく。その一例が、桐原さんが参加していた川澄祭(名古屋市立大学桜山キャンパスの大学祭)実行委員会の活動にある。
これまで川澄祭実行委員会は4年生が中心になって活動を指揮するのが伝統であった。
「でもここ2年、コロナ禍で川澄祭は中止になっていました。本音を言うと、私は今年も川澄祭が中止になるのはやむを得ないと思っていました。でも3年連続で中止になると、翌年は大学祭を一度も経験していない今の3年生が運営の中心メンバーになってしまいます」
2022年川澄祭実行委員の集合写真
イベントを開催する手順やノウハウ、そしてみんなで一つの目標に向かって突き進む楽しさを絶やしたくないという思いから、全員で諦めずに準備を進めていった。桐原さんは事務局長の役割を任され、施設の使用許可を得るために大学内を奔走し、さまざまな部署の担当者と交渉を繰り返した。
最終的に川澄祭が開催されると確定したのは、本番のわずか1カ月前。
「例年よりも規模は縮小されましたが、それでも集まってくれた学生や近所の親子連れの方々の笑顔を見ていたら、やはり開催して良かったと思いました。実行委員会のみんなで頑張った苦労が報われたと感じ、ホッとしました」
こうして、川澄祭の伝統とともに、面倒見の良い学風も後輩に受け継がれていく。
出会いを導くもの
2023年の1月、いよいよ病院での臨床実習が始まる。
「今は漠然と内科に興味がありますが、どの専門分野に進むかはまだ確定していません。これからさまざまな診療科を経験しながら、本当に自分が進みたい分野を見つけていくつもりです」
目標とするのは、患者さんの気持ちを考え、患者さんを笑顔にできる医師。口にするだけなら簡単だが、実際にそんな医師になるには今まで以上に勉強しなくてはならない。
「それは覚悟しています。私は忘れっぽい部分もあるので、何度も繰り返し学びながら、毎日少しずつ成長していこうと思っています」
振り返れば、桐原さんが高校や大学でたくさんの人と出会い、さまざまな場面に立ち会うことができたのは、そんな毎日の小さな努力の積み重ねがあったからに他ならない。そして今後も、桐原さんは「出会い」を繰り返し、iPS細胞に目を輝かせたあの頃の夢をかなえていくだろう。
プロフィール
桐原 聖子(きりはら せいこ)さん
医学部4年
4年生の1月から6年生の7月までの2年半、臨床実習が行われる。桐原さんも実習生としてあらゆる診療科を回り、医師としての自分の働き方を模索していくことになる。取材当時、認知症治療に興味があると言っていた桐原さんは、将来は内科に進みたいと漠然と考えている。
「ただ、実際に臨床実習の経験を積み重ねることで、将来の自分の専門分野についてさまざまな視野から考えを深めたいと思います」との展望を述べていた。