グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



ホーム >  SDGs活動紹介 >  世界一大きな授業2019への参加

世界一大きな授業2019への参加



担当者 榎木美樹:人間文化研究科(国際文化学科)、准教授、(専門分野)国際開発学、地域研究
2019年4月~7月の間、SDGs達成をめざす地球規模のキャンペーン「世界一大きな授業」(The Biggest World Class)に、名古屋市立大学人文社会学部の「国際協力論」(専門科目:受講生78名)として参加しました。
世界一大きな授業は、「持続可能な開発目標(SDGs)」の「ゴール4=教育目標」を達成するための地球規模のキャンペーンで、世界100か国以上の子どもたちと一緒に、公式教材に沿って行われる授業です。「世界中の子どもに教育を」を合言葉に、2003年にスタートし、2008年には885万人が参加してギネス世界記録としてギネスブックにも登録されました。日本では、教育協力NGOネットワーク(JNNE:<途上国で教育を行うNGO20団体のネットワーク>)が主導して、サ安藤する教育機関や国会議員、市民団体が参加型学習(アクティブ・ラーニング形式)で授業を行います。その成果は「政策提言」にまとめ、JNNE事務局を通して日本政府の外務大臣に届けられます。この世界的キャンペーンのねらいは次の4つです。<参照>
http://www.jnne.org/gce
̈ ねらい
  1. 世界と日本の教育の現状について知り、教育の大切さについて考えること。

  2. より良い世界のために活動をする子どもたちがいることを知り、自分たちに何ができるか考えること。

  3. 日本の教育援助の現状を知ること。

  4. より良い教育政策の実現に向け、日本政府に政策提言すること。
2019年度の場合は、4月13日から6月30日の間が実施期間、7月30日までが実施報告期間でした。日本でのキャンペーンには622団体・49,294人(愛知県からは40団体・3,506人)が参加しました。この中に、名市大・人文社会学部の「国際協力論」を受講しこのキャンペーンに自主的に参加した78名が含まれています。
「国際協力論」は「グローバル時代の国際協力」という手間のもと、政府間、他国間、あるいは民間で行われる、国境を越えた援助・協力活動(国際協力)について、「人づくり」と「関係性」を中心に考察することを目的とした授業です。将来、地球共生社会の実現をめざして国際協力や地域創生といった現場で活躍する人材となって欲しいという思いを込めて展開する授業ですので、あるべき方策に加え、国際協力の現場で起きている矛盾やミス・コミュニケーション、ジレンマなどを事例として取り上げ検討するという作業と「世界一大きな授業」の参加型手法はとても相性の良いものでした。
一部の参加学生からは、小中学校の授業のようでレベルが低く感じられた旨の意見も出ましたが、賛否両論の意見を出し合いながらも最後までこのキャンペーンに参加してくれたこと自体が、多様な価値観を持つ人同士がかかわりあいながら共生していく社会の構築をめざす際の現場で生じる摩擦を体感するよい学びの場になったのではないかと思っています。
以下、受講生のコメント抜粋です(一部は、「世界一大きな授業2019」の実施報告としてウェブ上に掲載されています)。
【私たちの政策提言】キャンペーンを通じて外務大臣へ提出されました(2019年8月6日)。
l 日本の学生を積極的に外国へと送り出すような制度をつくってもらいたいなと思います。僕の個人的考えではありますが、日本にいても正直なにも実感が湧かないということがあります。確かに支援が必要だとは建前上みんなが分かっていますが、本音の部分でやはり他人事ではあります。もし学生の多くが外国に行けば、自分の事としてとらえられるようになると思います。まずそのレベルでの意識改革にとりくむことが重要だと考えます。
l 本当に現地の人たちが求めていることを広めて欲しい。戦争、武力のない日本を誇り、世界中の武力を無くすところから教育改革は始まると思うので、それを世界のリーダーにはっきりとした言葉で伝えて欲しい。どの国でも人は同じように老いていく。今の子どもたちこそが一番優先して考えていかなきゃいけない。日本国内でもまだ学校に通えない人はいますよ!!
l この授業を受ける前、自分は世界の子どもたちの教育に関する状況についてほとんどなにも知りませんでした。授業を受け、知識を得ていくなかで、初めて自分以外の教育について深く考えました。知ることがこの問題を解決する上で一番大切だと思います。知ることで初めて自分で考え、行動することができます。政府の方々には日本の子どもたち、学生、大人たちに世界の現状を知る機会を増やして欲しいと思います。日本の世界における立ち位置、どのような活動・援助を行っているか、このようなことは意外と知る機会が少ないように思われます。グローバル化が進み、「日本人」ということの意味をもう一度考えることは大切なことだと思います。世界の子どもたちにできることを考えるきっかけをつくってほしいです。
l 以前の私みたいに途上国についてあまり知らない人を減らす取り組みです。具体的な途上国への支援はしていると思うし、まだまだ知識の無い私がわかることではないと思います。しかし多くの人が途上国について知ることで、国民の途上国への関心が高まり、その中の少数でも実際に行動にしようとする人がでてくると思います。なので、その隠れた人を探し出すためにも、まず途上国の現状を周知することはとても大事だと思います。
【世界一大きな授業 をやって思ったこと・考えたこと・感じたこと(参加者)】
主として、2019年5月20日に実施した「ちがいのちがい」の回、キーワードは「人権」でした。
l 多様性と格差の違いは、当事者が自らの意思で選んだものか、環境によって強いられたものかによる違いだと思う。だからといって、環境によって規定された価値観などは、先進国の価値観から見て間違っていても、当事者自身がそれを肯定している場合もあるのだから、一概にあってはならない差だと考えていい問題だとは思わない。例えば、授業では出なかったが、イスラム教徒の女性がヴェールの着用の強制にかかわる問題では当事者自身が強制されていると思っているかについて慎重に考えなければならないと思う。
l グループワークを通して同じ授業を受け、同じ文を読んでいても1人1人受け取り方が全く違うことが新鮮だった。また、説明するのが上手な人は、たとえ正しいとは限らなくても周りの人を納得させることができると感じた。あっても良い違い、良くない違い、これらをいかに分類するかはとても困難だが、何かを問題視したい時、広く訴えかけたい時、ただ事実を述べただけでは、問題にならない。多くの人に認知させ、行動に導くためには、圧倒的なカリスマ性であったり、話し方が必要だということを考えた。データや単なる文面だけではなく、人々に危機感を持たせ、動かしていくのは人そのものであると、マララさんのスピーチをみて、改めて思う。
l この授業を受けていると、当たり前のように思っていた「日本は先進国」であるということに疑念が湧いてくる。アフリカや中東などもっと"恵まれない"国について学んでいるはずなのに、逆に自分の国の不完全が見えてきた。
l あって良い違いとあって良くない違いの分類手法・基準の1つに「選択の自由」があるだろう。公立中学校とフリースクールの例のように、教育機会が均等に存在し、その上でフリースクールを選択するというちがいには、選択の自由の観点からあってよい。次に、「経済力」という基準を持っていきたい。基本的な社会インフラ・システムが万人に均等に与えられている場合、親の収入が高いか低いかで学習塾や良質な教材の利用に差が生じる。個人(子ども)が高等教育にチャレンジする最低限の環境が与えられていても、親の収入がチャレンジの難易度に影響してしまうと考える。これは東大入学式でも言及されていたと記憶する。拡大して考えて、高収入な「社会」ないし「国家」と低収入な「社会」「国家」の間の差異は、どの程度許容してよいのか?このことは機会均等・平等を考える上で重要なテーマとなろう。
l グループワークで「あってはならない差」と「なくしたほうがいい差」を分類したが、その行為すらも先進国に生きる怠惰な人々としての営みに感じてしまう。そもそも「違い」と「差異」に見なすか、「多様性」「各文化」とするかにも曖昧さが残る。10番カードの結婚の話も、ある面では直すべき差と見れるが、結婚の方法や家族のありかたは決して一様ではないと思うし、どれを祖あわせとするかも価値観によるのだからわからない。しかし、まず何か変えようとする第一歩として、国々の違いや文化のあり方について知ることが必要である。その知ったなかで、誰かの心に響き、耐えたいと思うからこそ、少しずつ、何かが変わっていくのではないだろうか。マララさんの言うように、「知る」ことが比較的できる行政や先進国の人々(自身も含め)が途上国の人々の望むように行動できていないというのには共感する。
l マララさんのスピーチは「『終わり』を始める」など素晴らしい内容であるのかもしれないが、「政治家や世界のリーダーだけでなく、私たち全ての人が貢献しなくてはなりません」という文には疑問が生じる。きっと「私たち全ての人」の前に「自分が恵まれている」という言葉が必要なのではないか。生活水準の高い日本でも、家・職・金のない人々もいるし、ちがいを見つけるアクティビティであったように48%の人は自分が幸せだとは感じていない。彼らに「世界にはあなたより恵まれていない人はたくさんいるから助けなければならない」と言うのはなかなかおかしいと考える。国際協力がうたわれる昨今ではあるが、それを強制してしまうのも国際協力のあるべき姿ではないと考えた。
l 自分の考えでは良いか悪いか明確に決まっている番号の内容についても、班によっては判断しにくい、と思っているようで、人によって考え方は違うんだなぁと改めて感じた。僕としては違う考え方を挙げた人と話し合ってみたかった。多様性を考える上で、個人的に大事だと考えているのは、それが「自分でどうにかできるかどうか」「本人がその状況をどう思っているのか」という2つの視点が大切だと思っている。生まれや周囲の悪意が原因なら当然良くないが、本人の言動の結果ならある程度は仕方ないだろう。また仮に生まれや悪意の生だったとしても、本人が何とも思っていないのなら、他人が良い悪いを論じるべきではない。
【世界一大きな授業 をやって思ったこと・考えたこと・感じたこと(実施者)】
l グループワークを複数回実施したことにより、個人レベルでなく他者の考えやプレゼンテーション力を知る機会にもなり、かつ小集団内におけるイニシアティブの取り方やパワーバランスを認識することにも繋がったとするコメントが複数寄せられた。
l また、開発途上国の課題を知って考えるだけでなく、これまで「先進国」「豊かな国」と考えてきた日本自体が抱える課題を意識する学生が多かったことも印象的であった。
l すべてのアクティビティを実施したが、特に反応が大きいと感じたのは、「識字」(アクティビティ2)のラベルに印刷された文字の書かれた薬便を選ぶもの、「教育と資金」(アクティビティ3)の教育や軍事費の使途規模をリボンの長さで比較するものであった。学生が考え方・価値観を混乱させたものとしては、「ちがいのちがい」(アクティビティ5)で、「違い」や「差異」と見なすか、「多様性」「各文化」とするか、またそれに他者がとこまで介入していいのか等、グループ内でも意見が分かれ、個人としても判断しかねるというジレンマを経験していた。
l 大学教員として、よい意味で驚いたのは、「本当に必要な『教育援助』とは?」(アクティビティ7)を実施した際、学生が積極的に役割を演じ、あたかも国際会議の議場に参加しているかのように、活発な質疑応答ができたことであった。ロールプレイ式の活動は参加度合いが少ないと思っていたのだが、学生各人が当事者意識をもって臨むことができたのは、最初のアクティビティからきちんと実施し、丁寧に理解を促進できたことに加え、この教材自体が丁寧に作りこまれているからだと感じた。