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心理社会ストレスによる症状発現の個体差が生じる脳内メカニズムを解明


研究成果の概要

名古屋市立大学大学院医学研究科統合解剖学分野・京都大学大学院医学研究科メディカルイノベーションセンターの内田周作准教授、京都大学大学院医学研究科精神医学・村井俊哉教授、同・大石直也特定准教授、大阪大学産業科学研究所・鈴木孝禎教授らの研究グループは、マウスを用いて心理社会的ストレスに晒された際に表れる行動表現型(症状)の個体差を決定する脳内メカニズムを発見しました。困難や逆境に適応・回復する力(レジリエンス)を高める制御法の開発、ストレスが引き金となって発症するうつ病や不安障害の病態究明や新たな治療法の開発に繋がることが期待できます。

本研究成果は、2024年1月16日(日本時間)に、米科学誌「Neuron」電子版に掲載されます。

研究成果のポイント

  • 様々な疾患の発病リスクを高める心理社会ストレスに対する反応は個人により異なるものの、その仕組みは分かっていなかった。
  • マウスもヒトと同様にストレスによる行動表現型が多様であることに着目し、精神疾患と関連する症状発現の個体差構築の脳内メカニズム解明を試みた。
  • ストレス負荷マウスを症状ごとに層別化(サブタイピング)し、各サブタイプに特徴的な神経回路変容と遺伝子発現パターン変容を抽出した。
  • 症状の多様性を規定する神経回路とその回路の駆動原理としての分子経路を新たに同定した。
  • 異種性の高いストレス性疾患における個別化医療、すなわち特定の患者群に対してより効果の期待できる治療法開発へつながる可能性がある。

背景

近年のストレス社会を背景に、うつ病(注1)などの精神疾患を発症する人が急増しています。私たち人間の脳には、ストレスを受けてもそれに適応するシステムが備わっているため、通常の生活を送ることができます。しかし、一部の人は、精神的・肉体的・社会的ストレスに適応することができずに精神疾患を発症してしまいます。このように、ストレスを感じる度合いは個人で異なります。また、ストレスによって表出する症状も個人で異なるなど多様性があります。しかし、その個人差を生み出す脳内の仕組みは分かっていませんでした。ストレスを受けた脳内で起こっている変化を理解することは、レジリエンス(注2)を高める制御法の開発、うつ病や不安障害などの精神疾患の病態解明や予防さらには新規治療薬の開発に繋がると期待されます。
研究グループは、精神疾患において頻繁に認められる社会性低下とアンヘドニア(喜びの喪失、無快楽症)の2つの症状に着目し、心理社会的ストレスを負荷したマウスを4つのサブタイプ(社会性低下あり/なし+アンヘドニアあり/なし)に分類しました。そして、これら各サブタイプの行動を規定する神経回路の同定ならびにその基盤となる分子メカニズムについて検討しました。

研究の背景の図

研究の背景

研究の成果

ストレス負荷マウスの層別化
マウスに繰り返しの心理社会ストレスを5日間負荷し、社交性と無感症(アンヘドニア)を評価する行動試験を行いました。それら行動データを用いて、社会性障害のみを示すサブタイプ(SA)、アンヘドニアのみを示すサブタイプ(ANH)、社会性障害とアンヘドニアの両方を示すサブタイプ(SA:ANH)、行動異常を示さないサブタイプ(レジリエンスサブタイプ)に層別化しました。

各サブタイプに特徴的な脳部位、神経ネットワークの抽出
上記のサブタイプのマウスを用いてFos(注3)発現マッピングにより脳内神経活動を調べたところ、各サブタイプに特徴的な神経回路変容を抽出することができました。具体的には、社会性低下とアンヘドニアの両方の症状を示すSA:ANHサブタイプでは内側前頭前野―視床室傍核(注4、注5)の活動が顕著に低下していました。一方、社会性障害のみを示すSAサブタイプでは内側前頭前野―扁桃体、アンヘドニアのみを示すANHサブタイプでは内側前頭前野―側坐核の神経ネットワーク障害が示唆されました。

SA:ANHサブタイプ(社会性低下とアンヘドニア)の神経活動操作
より症状の重いSA:ANHサブタイプにおける内側前頭前野―側坐核の神経活動操作による症状の回復を試みました。人為的に目的の神経経路を活性化することのできる技術を用いて、SA:ANHサブタイプの内側前頭前野―視床室傍核を活性化したところ、社会性の低下とアンヘドニアの2つの症状は消失しました。

SA:ANHサブタイプ(社会性低下とアンヘドニア)の脳内分子メカニズム
SA:ANHサブタイプにおける内側前頭前野―視床室傍核の神経ネットワーク障害の原因となる分子メカニズムを解析しました。その結果、視床室傍核に投射している内側前頭前野の神経細胞内で、遺伝子発現制御に重要な役割を担うタンパク質KDM5Cが活性化するとSA:ANHサブタイプに認める行動異常を惹起することを突き止めました。実際に、KDM5C阻害剤を投与すると、SA:ANHサブタイプの割合は顕著に減少し、逆にレジリエンスのマウスが多くなりました。

研究結果のまとめの図

研究結果のまとめ (発表論文の図を一部改変)

研究の意義と今後の展開や社会的意義など

今回の研究結果から、心理社会的ストレスに対する行動発現の個体差には、内側前頭前野を起点とした異なる神経回路が関わることが明らかになりました。また、内側前頭前野―視床室傍核の神経ネットワーク障害が複数の症状発現(社会性低下とアンヘドニア)に関わること、その原因としてKDM5Cを介した遺伝子発現制御機構の存在が示唆されました。さらに、KDM5Cの機能を抑える薬剤を投与したマウスは、ストレスを受けても異常な行動を示す個体が少なくなり、この結果はストレスが引き金となって発症するうつ病や不安障害に対する治療法の開発につながる可能性があります。
しかし、ストレスは脳内の様々な場所の機能に影響を与えていると想定されているため、今回解析した脳の部位以外でも多くの異常が生じている可能性は十分に考えられます。また、精神疾患は単一の神経回路や分子のみで説明できる疾患ではなく、複数の要因が複雑に相互作用していると考えられています。今後は、動物モデルを全脳・全身レベルで詳細に解析することで慢性ストレス状態の行動を規定するメカニズムの解明ならびにストレスに起因する様々な疾患の予防・診断・治療法の確立に向けた取り組みをさらに推進していく必要があります。

用語解説

注1)うつ病
米国の操作的診断基準であるDSM-5では、「大うつ病性障害」(major depression)と呼ばれている。DSM-5の診断基準は、「抑うつ気分」と「興味・喜びの喪失」の2つの主要症状が基本となる。「抑うつ気分」とは、気分の落ち込みや空虚感・悲しさなどである。「興味・喜びの喪失」とは、以前楽しめていたこと(趣味など)にも楽しみを見いだせない状態である。これら主要症状に加えて、「自分には何の価値もないと感じる無価値感」や「自殺念慮・希死念慮」などの症状がある。うつ病の病因・病態は多種多様であると想定されており、未だ効果的な治療法のないアンメットメディカルニーズの高い疾患である。
注2)レジリエンス
過度なストレスは不安障害や気分障害の発症リスクとなることが指摘されている。一方でストレスフルなイベントを体験した人すべてが発症するわけではない。むしろ多くの人はストレスに適応することで精神的安定性を維持している。このようなストレッサーに対する予防あるいは緩衝要因としてのレジリエンスは、ストレッサーに暴露されても健康的な精神状態を維持する“抵抗力”と、困難な状況からの“回復力”の二側面を持つ概念と捉えられている。
注3)Fos
細胞への刺激に応答して速やかに発現が誘導される最初期遺伝子の1つ。そのため、c-Fos遺伝子の発現(mRNAあるいはタンパク質レベル)は、脳内の機能的活性を評価するマーカー (神経活動マーカー) として広く使用されている。
注4)内側前頭前野皮質
脳にある前頭葉の前側の領域で、認知行動の計画、社会的行動の調節に関わっているとされている。人の個性との関連も指摘されている。様々な精神疾患の患者で内側前頭前野皮質を含む脳機能変容が報告されている。
注5)視床室傍核
脳の皮質下にある視床を構成する視床亜核群の一つで、恐怖記憶、不安、報酬、睡眠、摂食などに関わるとされる。

研究助成

本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(JP22H03532, JP21H00198, JP21K19707, JP19H04905, JP21K15711, JP21K07593, JP21H02849, 21H04795, JP21H05173)、AMED (JP23ak0101197, JP23ama121041j0002, JP22dm0307102)、日本科学技術振興機構JST-CREST (JPMJCR14L2)、塩野義製薬(SKプロジェクト)の支援を受けて行われました。

論文タイトル

Discrete prefrontal neuronal circuits determine repeated stress-induced behavioral phenotypes in male mice
(異なる前頭前野神経回路が慢性ストレスにより惹起される行動表現型の多様性を決定する)

著者

李海燕1、九野(川竹)絢子1、稲葉啓通1、三宅由花2、伊藤幸裕2、植木孝俊3、大石直也1、村井俊哉1、鈴木孝禎2、内田 周作1,3,4,* (*責任著者)
所属:1京都大学大学院医学研究科, 2大阪大学産業科学研究所, 3名古屋市立大学大学院医学研究科, 4山口大学大学院医学系研究科

掲載学術誌

学術誌名 Neuron (ニューロン)
DOI:https://doi.org/10.1016/j.neuron.2023.12.004