四面楚歌をどう切り抜ける?~アリの巣内部で暮らすコオロギの逃避戦略~
本研究のポイント
・アリの巣に住むアリヅカコオロギがアリに対し2種類の逃避戦略を持つことを発見。
・2種類の逃避戦略は宿主のアリを効率よく回避することに寄与する。
・アリの巣に住む好蟻性(こうぎせい)の行動様式がどう進化したかを理解することに繋がると期待。
・2種類の逃避戦略は宿主のアリを効率よく回避することに寄与する。
・アリの巣に住む好蟻性(こうぎせい)の行動様式がどう進化したかを理解することに繋がると期待。
研究概要
名古屋大学大学院理学研究科の田中 良弥 助教、上川内 あづさ 教授(トランスフォーマティブ生命分子研究所(WPI-ITbM)※ 兼務)、生命農学研究科の三高 雄希 助教、竹本 大吾 教授、かずさDNA研究所の佐藤 光彦 研究員、名古屋市立大学大学院薬学研究科の鈴木 力憲 講師らの共同研究グループは、アリの巣の中で暮らす好蟻性(こうぎせい)生物(注1)であるアリヅカコオロギ(注2)の一種が、アリの巣という特異な環境に適した逃避戦略を持つことを発見しました。
アリの巣には、好蟻性生物と呼ばれる多様な生き物が暮らしており、その多くはアリと同じ匂いを身にまとうことで、アリからの攻撃を回避すると考えられています。一方で、そのような戦略を十分に持たず、アリに見つかると攻撃される種も存在します。そうした種が多数のアリがいる巣内でどのように攻撃を避けて生活しているかは詳しく分かっていませんでした。
本研究では、この問いに迫るために、アリヅカコオロギのアリに対する逃避行動(注3)を調べました。その結果、このコオロギは比較的ゆっくりとしたスピードでアリの背後に回り込む戦略と、高速で直線的に移動する戦略の2つの逃避行動を持つことが分かりました。興味深いことに、宿主のアリに対して、コオロギは背後に回り込む戦略を優先的に使うことが分かりました。この傾向は、宿主ではないアリに対しては見られませんでした。また、行動シミュレーションから、背後に回り込む戦略は無数のアリがいる中で効率よく食糧を探索するのに有効であることが示唆されました。以上から、このアリヅカコオロギはこれら2つの逃避戦略を状況に応じてうまく使い分けることで、アリの巣内での生活を可能にしていると考えられます。
今後、ゲノムや遺伝子レベルの解析を進めることで、好蟻性生物の多様性を生み出す仕組みの解明につながることが期待されます。
本研究成果は2024年12月31日(日本時間)付国際学術誌『Communications Biology』に掲載されました。
アリの巣には、好蟻性生物と呼ばれる多様な生き物が暮らしており、その多くはアリと同じ匂いを身にまとうことで、アリからの攻撃を回避すると考えられています。一方で、そのような戦略を十分に持たず、アリに見つかると攻撃される種も存在します。そうした種が多数のアリがいる巣内でどのように攻撃を避けて生活しているかは詳しく分かっていませんでした。
本研究では、この問いに迫るために、アリヅカコオロギのアリに対する逃避行動(注3)を調べました。その結果、このコオロギは比較的ゆっくりとしたスピードでアリの背後に回り込む戦略と、高速で直線的に移動する戦略の2つの逃避行動を持つことが分かりました。興味深いことに、宿主のアリに対して、コオロギは背後に回り込む戦略を優先的に使うことが分かりました。この傾向は、宿主ではないアリに対しては見られませんでした。また、行動シミュレーションから、背後に回り込む戦略は無数のアリがいる中で効率よく食糧を探索するのに有効であることが示唆されました。以上から、このアリヅカコオロギはこれら2つの逃避戦略を状況に応じてうまく使い分けることで、アリの巣内での生活を可能にしていると考えられます。
今後、ゲノムや遺伝子レベルの解析を進めることで、好蟻性生物の多様性を生み出す仕組みの解明につながることが期待されます。
本研究成果は2024年12月31日(日本時間)付国際学術誌『Communications Biology』に掲載されました。
研究背景と内容
近年の研究から、アリの巣に住む好蟻性生物には目を見張る多様性が存在し、昆虫をはじめとする様々な生き物がアリと関わり合いながら巣の中で生活していることが分かってきています。巣の内部の環境は安定しておりアリが運ぶ豊富な食糧があるため、好蟻性生物はそうした資源を利用できるという利点があります。一方、好蟻性生物が巣の中で生活するためには、アリから侵入者として攻撃されることを回避する必要があります。
アリは、主に体表のワックス層にある炭化水素の組成情報を用いて同じ巣の仲間とコミュニケーションすることが知られています。好蟻性生物はこれらの炭化水素を利用することで、アリに『なりすます』ための化学戦略を持つことが知られています。例えば、アリの炭化水素を盗んだり、自身で合成することで、好蟻性生物がアリと同じ匂いをまとい化学擬態することで、アリをだまし攻撃を受けずに巣内で生活していると考えられています。一方で、これらの化学戦略にはエネルギーや時間が奪われるなど大きな生物学的なコスト(負荷)が伴います。そのため、好蟻性生物の中には、化学戦略に頼らず、アリからの攻撃を避ける別の術を持つものがいることが報告されています。先行研究から、化学戦略を十分に持たない好蟻性生物において、素早くアリを避ける様子が観察されており、巣内での生活を実現するために逃避行動が重要であることが指摘されていました。しかし、天敵となるアリが無数にいる条件下で好蟻性生物がどのようにアリを回避するのかは定量的には調べられていませんでした。
本研究では、十分な化学戦略を持たないと考えられているアリヅカコオロギの一種に着目することで、この問いに迫りました。先行研究では、サトアリヅカコオロギはアリと接触すると攻撃を受けることから、十分な化学戦略を持たないことが示唆されていました。本研究では、サトアリヅカコオロギとアリの個体間の相互作用を調べることで、このコオロギがどのようにアリの脅威を回避するかを調べました。その結果、このコオロギはアリに対して2つの逃避戦略を持つことが分かりました。1つは、比較的ゆっくりとしたスピードで弧を描く軌跡でアリの背後に回り込む戦略です。もう一方は、高速で直線的に短時間でアリから距離を取る戦略です(図1)。私たちは、弧を描く逃避戦略を「ドッジング(Dodging)」、直線的な戦略を「ディスタンシング(Distancing)」とそれぞれ分類しました。
アリは、主に体表のワックス層にある炭化水素の組成情報を用いて同じ巣の仲間とコミュニケーションすることが知られています。好蟻性生物はこれらの炭化水素を利用することで、アリに『なりすます』ための化学戦略を持つことが知られています。例えば、アリの炭化水素を盗んだり、自身で合成することで、好蟻性生物がアリと同じ匂いをまとい化学擬態することで、アリをだまし攻撃を受けずに巣内で生活していると考えられています。一方で、これらの化学戦略にはエネルギーや時間が奪われるなど大きな生物学的なコスト(負荷)が伴います。そのため、好蟻性生物の中には、化学戦略に頼らず、アリからの攻撃を避ける別の術を持つものがいることが報告されています。先行研究から、化学戦略を十分に持たない好蟻性生物において、素早くアリを避ける様子が観察されており、巣内での生活を実現するために逃避行動が重要であることが指摘されていました。しかし、天敵となるアリが無数にいる条件下で好蟻性生物がどのようにアリを回避するのかは定量的には調べられていませんでした。
本研究では、十分な化学戦略を持たないと考えられているアリヅカコオロギの一種に着目することで、この問いに迫りました。先行研究では、サトアリヅカコオロギはアリと接触すると攻撃を受けることから、十分な化学戦略を持たないことが示唆されていました。本研究では、サトアリヅカコオロギとアリの個体間の相互作用を調べることで、このコオロギがどのようにアリの脅威を回避するかを調べました。その結果、このコオロギはアリに対して2つの逃避戦略を持つことが分かりました。1つは、比較的ゆっくりとしたスピードで弧を描く軌跡でアリの背後に回り込む戦略です。もう一方は、高速で直線的に短時間でアリから距離を取る戦略です(図1)。私たちは、弧を描く逃避戦略を「ドッジング(Dodging)」、直線的な戦略を「ディスタンシング(Distancing)」とそれぞれ分類しました。
図1 サトアリヅカコオロギは状況に応じて2つの逃避戦略を使い分ける
では、サトアリヅカコオロギはこれら2つの逃避戦略をどのように使い分けているのでしょうか?この問いに迫るために、コオロギが逃避行動を起こした時のコオロギとアリの個体間距離を調べました。その結果、コオロギはアリとの距離が比較的離れている時には「ドッジング」を選択し、距離が短くすぐに攻撃を受ける危険がある状況下では「ディスタンシング」を選択することが分かりました。これらの解析から、「ドッジング」は攻撃されるリスクの低い状況で利用される戦略で、アリとの接触を事前に避けるのに有効であると考えられます。また、「ディスタンシング」はアリからの攻撃のリスクが高い時に使われる緊急用の戦略であると考えられます。
今回の行動観察では、サトアリヅカコオロギの宿主であるトビイロシワアリに加えて、宿主ではない2種(オオズアリ、オオハリアリ)に対するコオロギの逃避行動も観察しました。2つの逃避行動の使用頻度を比べると、宿主ではない2種については、「ドッジング」と「ディスタンシング」を同程度の頻度で使っていました。興味深いことに、宿主であるトビイロシワアリに対しては、「ドッジング」を使って逃避する頻度がより高いことが分かりました(図2)。これらの結果から、「ドッジング」は宿主に選択的な逃避戦略であることが示唆されました。さらに行動シミュレーションによって、「ドッジング」はアリの巣のような狭い空間でアリを回避しながら食糧を探索するのに役立つことが分かりました。
本研究により、十分な化学戦略を持たない好蟻性生物が宿主の回避に適した逃避戦略を持ちそれらを状況に応じて使い分けることで、アリからの攻撃を避けながら巣内での生活を実現していることが分かりました。
今回の行動観察では、サトアリヅカコオロギの宿主であるトビイロシワアリに加えて、宿主ではない2種(オオズアリ、オオハリアリ)に対するコオロギの逃避行動も観察しました。2つの逃避行動の使用頻度を比べると、宿主ではない2種については、「ドッジング」と「ディスタンシング」を同程度の頻度で使っていました。興味深いことに、宿主であるトビイロシワアリに対しては、「ドッジング」を使って逃避する頻度がより高いことが分かりました(図2)。これらの結果から、「ドッジング」は宿主に選択的な逃避戦略であることが示唆されました。さらに行動シミュレーションによって、「ドッジング」はアリの巣のような狭い空間でアリを回避しながら食糧を探索するのに役立つことが分かりました。
本研究により、十分な化学戦略を持たない好蟻性生物が宿主の回避に適した逃避戦略を持ちそれらを状況に応じて使い分けることで、アリからの攻撃を避けながら巣内での生活を実現していることが分かりました。
図2 ドッジングはホストに対して選択的な逃避行動である
成果の意義
本研究では、動物行動の定量的な分類と行動シミュレーションによって、好蟻性生物が持つユニークな逃避戦略を明らかにしました。「ドッジング」のような逃避行動は地上生活をする動物ではこれまであまり報告されておらず、今回調べたアリヅカコオロギでは、アリの巣という特殊な環境に適応するためにこのような逃避戦略を獲得したと考えられます。今後は、ゲノムや神経メカニズムに着目したより詳細な解析を行うことで、好蟻性に関与する行動形質の仕組みの理解が進むことが期待されます。
本研究は、2022-2024年度文部科学省『学術変革領域研究(A):階層的生物ナビ学』、2023-2024年度文部科学省研究大学強化促進事業『名古屋大学高等研究院 若手新分野創成研究ユニット』の支援のもとで行われたものです。
【参考文献】
『アリの巣の生きもの図鑑』 丸山宗利・小松貴・工藤誠也・島田拓・木野村恭一 著 東海大学出版 2013年
本研究は、2022-2024年度文部科学省『学術変革領域研究(A):階層的生物ナビ学』、2023-2024年度文部科学省研究大学強化促進事業『名古屋大学高等研究院 若手新分野創成研究ユニット』の支援のもとで行われたものです。
【参考文献】
『アリの巣の生きもの図鑑』 丸山宗利・小松貴・工藤誠也・島田拓・木野村恭一 著 東海大学出版 2013年
用語解説
注1)好蟻性(こうぎせい)生物:
生活史の全てあるいは一部において、アリの巣の内部で生活する生物を指す。好蟻性はさまざまな無脊椎動物の仲間で独立に進化しており、好蟻性生物はアリの巣に適応してユニークな外部形態や行動様式を持つことが多い。
注2)アリヅカコオロギ:
バッタ目アリヅカコオロギ科アリヅカコオロギ属の昆虫を指す。好蟻性であり、翅(はね)は無く、複眼も一般的なバッタ目昆虫と比べると著しく小さい。本研究で使用したサトアリヅカコオロギは主にアリが運んできた昆虫の死骸を食べると考えられているが、アリから口移しで食べ物を分けてもらいアリと接触しても攻撃されない種も存在する。そうした種は、アリの炭化水素を盗み化学擬態することでアリからの攻撃を避けていると考えられている。
注3)逃避行動:
動物個体が捕食者などの脅威を避けるために、その場から移動する行動を指す。どのような逃避行動を示すかは動物種ごとに異なり、その動物種の移動能力や捕食者の認知・追跡能力によって決まると考えられている。
生活史の全てあるいは一部において、アリの巣の内部で生活する生物を指す。好蟻性はさまざまな無脊椎動物の仲間で独立に進化しており、好蟻性生物はアリの巣に適応してユニークな外部形態や行動様式を持つことが多い。
注2)アリヅカコオロギ:
バッタ目アリヅカコオロギ科アリヅカコオロギ属の昆虫を指す。好蟻性であり、翅(はね)は無く、複眼も一般的なバッタ目昆虫と比べると著しく小さい。本研究で使用したサトアリヅカコオロギは主にアリが運んできた昆虫の死骸を食べると考えられているが、アリから口移しで食べ物を分けてもらいアリと接触しても攻撃されない種も存在する。そうした種は、アリの炭化水素を盗み化学擬態することでアリからの攻撃を避けていると考えられている。
注3)逃避行動:
動物個体が捕食者などの脅威を避けるために、その場から移動する行動を指す。どのような逃避行動を示すかは動物種ごとに異なり、その動物種の移動能力や捕食者の認知・追跡能力によって決まると考えられている。
論文情報
雑誌名:Communications Biology
論文タイトル:Switching escape strategies in the parasitic ant cricket Myrmecophilus tetramorii
著者: Ryoya Tanaka*, Yuki Mitaka, Daigo Takemoto, Mitsuhiko P. Sato, Azusa Kamikouchi, Yoshinori Suzuki*(*共同責任著者を示す)
DOI: 10.1038/s42003-024-07368-y
URL:https://www.nature.com/articles/s42003-024-07368-y
論文タイトル:Switching escape strategies in the parasitic ant cricket Myrmecophilus tetramorii
著者: Ryoya Tanaka*, Yuki Mitaka, Daigo Takemoto, Mitsuhiko P. Sato, Azusa Kamikouchi, Yoshinori Suzuki*(*共同責任著者を示す)
DOI: 10.1038/s42003-024-07368-y
URL:https://www.nature.com/articles/s42003-024-07368-y