特集(寄稿・座談会など)
特集(寄稿・座談会など)
名古屋市立大学のハート型徽章制作時のいきさつについて、大波多廣文氏(元市立大学事務局長)が詳しいことをご存じなので、お聞きしてきたことをまとめました(名古屋市立大学薬友会報第62号(2013)より再編集)。
昭和30年から31年にかけて、市立大学学友会の蟹江良一氏(医学部、昭和35年卒)と大橋伸旭氏(薬学部、昭和33年卒)、そして大波多 廣文氏(当時、学生部係長)が杉本健吉画伯に大学徽章のデザインを依頼しました。当時、杉本邸は、薬学部(当時は萩山町)近くにあり、市電の瑞穂通4丁目停車場で下車した学生の多くは杉本邸の前を通り通学していました。市立大学には昭和25年に制定された職員徽章はありましたが、学生徽章はありませんでした。杉本画伯は突然の依頼に驚かれましたが、事情が説明されると、快く引き受けていただけました。昭和32年に出来上がったデザインは、当時の本学が医学部と薬学部のみの医系大学であったことにちなみ、心臓をかたどり人間性の尊重を表現したものでありました。このハートの中心に大學を配した特徴のあるデザインは、本学が医学部、薬学部、経済学部、看護学部、人文社会学部、芸術工学部、総合生命理学部の7学部を有する大学に発展した今も、人間性を尊重している大学のシンボルとしてふさわしいものであります。
このマークは、市立大学病院の薬袋や入院患者用の食器にも使用されました。杉本画伯が市立大学病院で心臓マークの入った薬袋を受け取られたときは、大変喜ばれたそうです。マーク入りの食器は、人気があり退院時に記念として持ち去る患者さんが多く、マークを入れるのを中止したそうです。
このハートークは、創立120周年記念碑(田辺通りキャンパス)の中心にも描かれており(写真1)、薬学部卒業記念アルバムの表紙(写真2)にも飾られています。薬学内の気がつかないところにも使用されています。薬学部創立100周年を記念して卒業生の募金によって建設された薬友会館正面の1階から3階までの大きな窓の輪郭は、このハートマークとなっております(写真3)。また、入り口のドアの取手もハートマークです(写真4)。
写真1
写真2
写真3
写真4
写真5
写真6
写真7
薬学部21回生 昭和48年(1973)卒
元薬学研究科講師
白井 直洋