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同窓生インタビュー

伊藤利和氏を囲んで

■平成31年(2019)1月31日 名古屋市立大学山の畑キャンパス1号館705演習室
 伊藤 利和氏  経済学部7期生 昭和49年(1974)卒、高浜市文化財審議委員・高浜市史編纂委員

■聞き手
 吉田 一彦 人間文化研究科教授 副学長(大学史編纂・資料室)
 中野 重治 経済学部6期生 昭和48年(1973)卒/瑞山会副会長
 佐野 直子 人間文化研究科准教授/高浜市史編纂委員
 浅岡 悦子 人間文化研究科研究員
 手嶋 大侑 人間文化研究科研究員
 日吉 康浩 高浜市こども未来部主任

◇考古学との関わり

吉 田:

インタビュー

インタビュー

今回、名古屋市立大学開学70周年史を作ることになりました。それで、やるのなら資料集めからはじめる必要があると考えまして、学内をいろいろ探していましたら、総合情報センターの倉庫に茶色い袋に入った土器が保管されていたんです。中に八講古墳から出土したという土器が入っていまして、一緒に入っていたペーパーに、「昭和46年6月 経済2年伊藤利和」と書いてありました。それで中野さんに相談して伊藤さんを探していただきました。たどり着いたら、現在、愛知県高浜市の文化財審議委員を務めている先生でいらっしゃって、大変驚きました。卒業されてから、会社員をしながら考古学の研究をされていたんですか。

伊 藤:

はい、トヨタ系の会社に勤めていました。考古学は高校の頃からずっとです。

吉 田

どちらの高校だったのですか。

伊 藤:

刈谷高校です。その当時、隣に刈谷北高校があって、そこの先生が考古学をやられていました。当時は今と違って、主に中学や高校の先生が主体で発掘調査をやることがあって、それで一緒に行って手伝っていました。学校の先生なもんですから、夏休みとか春休み・冬休み、あとは土日を使って調査をやるんですよね。そういう時に声をかけていただきました。

佐 野

この辺、名古屋市の調査ですか。

伊 藤

主に岡崎とか、それから三河のあっちこっちに掘りに行きました。大学に入ってからも、夏休みなんかにやっていました。掘っていただけですけどね。

中 野:

中学生からだったら50年、いや、50年以上になりますよね。

伊 藤

中学生の頃から見たりはしていましたけど、発掘し出したのは高校生の頃からです。

吉 田

いやぁ、筋金入りですね。

◇学生時代のサークル活動

吉 田:

それで、名古屋市立大学に入学したら、キャンパスのなかに古墳があった。

伊 藤:

ええ。ありました。ただ、はじめから古墳を掘ったわけではなくて、入学当初は、ギター・マンドリングクラブに入っていました。その後、先輩から誘われて、生活協同組合の組織部というところでしばらく活動していて、その事務所が食堂の一角にあったんですよ。その頃から、古墳があるってことはわかっていたもんですから、古墳の周りを廻ったり、上を通ったりしたんですが、形がいびつで、どんな古墳なのかがなかなかわからんなあと思っていました。

吉 田:

そうですか。今日お伺いしたいのは、伊藤さんの学生時代の頃の「日本古代史研究会」のお話です。

伊 藤:

それはあまり記憶がなくて。

吉 田:

そうですか。大学に入ったら日本古代史研究会というのがあったんですか。

伊 藤:

いや、あったんではなくて、僕が作ったんです。

吉 田:

創部者ですか。

伊 藤:

なんかやらなあかんなって考えて。これ(古墳からの出土品の発見)をきっかけにして作ったのかどうかは定かではないんですが、掘ったら出てきたから、もうちょっとやってみたらどうっていうことだったかと思います。自分自身が地元で発掘をしていたので、仲間を募って、見学会でも一緒に行ければいいかなぐらいの気持ちでした。自分でビラを書いて、コピーを取って経済学部の201教室で配ったら、「やってもいいよ」っていう人が5人くらいいたんですよ。メンバーは、男性2人、女性3人です。

吉 田:

伊藤さんを入れると6人ですか。

伊 藤:

ええ、そうです。それで、同好会を作るために、当時事務所があった川澄キャンパスに行ったら、顧問の先生が必要だと言われて、国文学の藤井先生(藤井隆教養部教授)にお願いしました。そうしたら、藤井先生の方から、文書を読むことでもやろうかって言ってくれて、数回分のテキストを用意してもらって、何人かで教室で読み方を教わった記憶があります。ただ、そのくらいの活動をして、その後は途切れ途切れになってしまって、知らず知らずに消滅したのかなと思います。活動したのは半年ちょっとくらいだったかもしれません。たしか、名古屋市の文化財保護のところには古墳の話を聞きに行っていますけど、あっちこっちに見学に出かけたりとかはできないまま終わってしまいました。

手 嶋:

日本古代史研究会を作られたのは、メモに書いてある昭和46年(伊藤さんが2年生の年)のことですか。

伊 藤:

ええ、1年生のときはギター・マンドリンでしたから、2年生の途中から始めて、2年生の終わりくらいまでで活動を終えていると思います。

吉 田:

日本古代史研究会は、伊藤さんが2年生の時に作られた同好会なんですね。メモには、「日本古代史研究会」ってすごく晴れやかに書いてありますよ。

伊 藤:

いや、「考古学」にしようとしたらちょっと反対があったので、「古代史」の方がいいかねってことで日本古代史研究会にしたんです。

◇八高古墳からの出土品について

佐 野:

これらはまとまって出土したんでしょうか。

伊 藤:

そうだと思います。発掘したのはちょうど古墳のくびれ部ですね。くびれ部というのは祭祀をやる場所です。だからまとまって埴輪が出土したりすることがあるんです。

吉 田:

この出てきたものの中にも埴輪片があるとメモに書いてありますね。埴輪は、古墳の周辺部にずらっとあったんでしょうか。それともくびれ部の祭祀用なんですか。

伊 藤:

ぐるっと古墳の周りに置くこともありますし、祭祀の所に特別に施設をしっかり作るということもありますよね。

吉 田:

それは全部掘ってみないとわからないですね。

伊 藤:

そうですね。古墳のもともとの形のところまで、余分な土を取ってくんですよ。そうすると、円墳の所は段になっていると思います。そういうところまでいくと、運が良ければ、円筒埴輪の根っこのところが出てくる可能性があると思いますね。

浅 岡:

これは古墳の周囲を歩いて見つけられたんですか。

伊 藤:

それもあるかもしれないんですけど、表面を擦って出てきたんだと思います。一気に出てきたんだと思います。多少は地表に落ちていたものもあったと思いますけど、ここらへんのもの(実物を指して)は、間違いなく土の中から出たものですね。食堂の横ですから犬が来てほじくっちゃう。それで、土がやわらかくなっているところがあったんです。そういうところを木の枝でちょっとほじくって。たしか30cmぐらいで、それも30cm下まで掘ったという意味ではなくて、のり面というか、崖面で削られているところの、一番上の表面から30cmぐらいところから出土したという意味です。

浅 岡:

一回でこの全部を見つけたんですか。

伊 藤:

いや、一回ではなく、二、三回掘ってのことだと思います。あまり掘っちゃいけないので二、三回です。

浅 岡:

在学中にこういうものが出て来たら、いつも気にして歩くと思うんですけれど、在学中にその後は見つからなかったですか。

伊 藤:

そうですね。一度やって出たらもう忘れてしまう。

吉 田:

今でも発掘すればいろいろと遺物が出てくるかもしれませんね。

伊 藤:

出ると思いますよ。ただどこを発掘するか、場所が問題ですよね。

佐 野:

この出土品があったのをきっかけにして、そのあと本格的に古墳の調査をするということにはならなかったんでしょうか。

伊 藤:

当時はそれだけのことは思っていなかったですね。今だったら間違いなく図面をとりますよね。

吉 田:

この出土品が何で大学に残っているかというと、伊藤さんがメモを付して、これは古墳の大事な出土品だから保存しておくようにと伝えたから、残ったんだろうと思います。

伊 藤:

それは間違いなくそうだろうと思いますね。事務に置いてもらうとしたら、向こうの川澄キャンパスの事務の方に持っていったんだろうと思います。

浅 岡:

この調書は一人で作られたんですか。

伊 藤:

これは一人でです。

浅 岡:

(日本古代史研究会の)メンバーと一緒に、これは何で、こっちは何で、などと意見交換はしていない?

伊 藤:

それはやってないですね。

浅 岡:

二つ古墳があるうちのもう一つの円墳の方は歩いたりはしましたか。

伊 藤:

円墳の方は、インターネットで見たら陪冢って書いてありましたが、おそらく陪冢ではなく独立した古墳だと思います。

吉 田:

今は八高生の像が古墳の上に乗ってますね。

伊 藤:

昔はあの円墳の上に、「八高古墳」という石碑が建っていました。学生時代、生協をやっている時に、八高のOBで、当時で60歳とか70歳になる人が、学ランを着て帽子をかぶってやってきて、古墳の上で何かやったことがありました。その時、生協だったものですから、オードブルか何かを注文されたもので、一生懸命に持って運んだ覚えがあります。

佐 野:

古墳の上でですか。

伊 藤:

古墳の上でね。八高の校歌か何かを歌っていましたよ。今はもう来ないでしょうけどね。

◇大学卒業後のこと

吉 田:

大学卒業後は、会社に定年まで勤めながら、考古学を勉強されたんですね。

伊 藤:

勉強というか、30代ぐらいまでは、よく発掘の調査で声がかかりました。それで40歳ぐらいになった時に、図の書き方とか、論文の書き方とか、遺物の見方とか、4~5年くらい指導していただきました。それで、45、6歳の時に日本考古学協会の協会員に推薦してもらって、論文を提出したりして、日本考古学協会の会員になりました。

吉 田:

大学院に入るとかではなく、働く傍らで、実践で考古学を学ばれたんですね。学生時代に一緒に研究会をやっていた仲間の方とは、今も連絡を取られていますか。

伊 藤:

一人だけ今でも年賀状のやり取りがあります。一緒に話をしたりすれば何か当時のことで思い出すこともあるかもしれないですね。

吉 田:

せっかくだからまた機会を設けたいですね。

伊 藤:

そうですね。ずっと40年来顔を合わせていないですからね。

吉 田:

卒業しても考古学の研究を続けられている方に出会えるとは思っていませんでした。まして文化財審議委員の先生に出会えるとは感激です。今日は貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。