名古屋市立大学の歴史

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第Ⅴ章 市立三大学の統合と人文社会学部、芸術工学部、自然科学研究教育センターの成立

1. 市立三大学統合

(1)二つの短期大学の四年制大学化

 名古屋市立保育短期大学(以下「保育短大」)、名古屋市立女子短期大学(以下「女子短大」)の両短期大学では、早くから四年制大学化を目指す道が模索されていた。女子の高等教育機関として短期大学では十分ではなく、四年制大学になって十分な教育を行う必要があるとの考えによるものだった。
 保育短大では、短大昇格時にすでに四年制大学化を希望する声があり、校歌にも「保育大学」と歌われた。さらに昭和49年(1974)、将来計画委員会を設置し、同年の教授会において、四年制大学の実現を究極の目標とするが、その前段階として初等教育科と専攻科の設置を目指すとの段階論が決定された。そして、昭和52年(1977)に初等教育科の設置が実現されると、1980年代の半ばから四年制大学の構想案が盛んに議論されるようになった。
 女子短大では、昭和39年(1964)に教授会で四年制大学化案がまとめられ、その後1970年代に「新構想大学」をめぐる具体案が教授会において盛んに議論され、1970年代末にはその具体化のため設置者との交渉が熱心に行なわれた。
 こうした議論を受けて、昭和55年(1980)1月に策定された「名古屋市基本計画」には「市立三大学の拡充整備」が計画項目に掲げられ、そこで「市立三大学の拡充整備 学部の新設・拡充、他の大学との単位互換制度、短期大学のあり方など、市立三大学の将来方向を検討する機関を設置する」とされた。これに基づいて、昭和57年(1982)~58年(1983)に「名古屋高等教育懇話会」が設置、開催され、次いで昭和59年(1984)~昭和60年(1985)に「三大学将来構想検討委員会」が設置、開催された。この議論によって、昭和60年(1985)7月には「21世紀を展望した市立三大学の将来方向について」がまとめられた。しかし、市立三大学の統合と新学部・センターが発足するには、なお10余年の歳月を要した。
 昭和63年(1988)8月に策定された「名古屋市新基本計画」(昭和63~平成12年度)においては、市の高等教育機関としての市立三大学の整備について、「地域の学術・文化の中心となるよう、市立大学の学部増、女子短期大学・保育短期大学の四年制大学化、市立三大学の統合など、将来方向の検討を積極的にすすめる」との重要な位置づけをしている。
 女子短大では、名古屋市立生活文化大学案に基づいて生活学部(仮称)構想が議論されていたが、名古屋市は家政系の学部構想は21世紀を展望するには弱いとし、これを受けた両短期大学では、環境系の人間環境学部(仮称)が議論され、まもなく、平成4年(1992)1月には両短期大学を統合して新たに人間社会学部(仮称)と芸術工学部(仮称)の二学部を設置する構想が浮上し、この構想が本格的に議論されるようになっていった。
 もう一つの動向として、この時代、全国の大学で、教養部の改組、廃止の動向が進展していった。その契機となったのは、平成3年(1991)6月の大学設置基準の改訂(「大綱化」と呼ばれる)であった。臨時教育審議会(臨教審)は、1987年の答申で、「一般教育」に関する理念、内容、教育組織の改革を提起した。臨教審の創設提案を受けて設置された大学審議会は、平成3年(1991)年2月に『大学教育の改善について』を答申し、同7月に大綱化が施行されたのである。これにより、全国の国公立大学の教養部、一般教育課程では、短期間のうちに改組が進展し、ほぼ5年間で、そのほとんどが廃止、再編されて姿を消した。名古屋市立大学においても、こうした国の方針を受けて、昭和30年(1955)発足以来全学学生の一般教育に当たってきた教養部をどう再編するかが喫緊の課題となった。
 これらを受けて、平成4年(1992)6月、名古屋市に各界の有識者からなる「大学の将来構想に関する懇談会(座長:飯島宗一・元名古屋大学学長)が設置され、新しい時代にふさわしい市立の大学の在り方についての意見交換がなされ、平成5年(1993)4月に以下の提言を西尾武喜名古屋市長に報告した。

  1. 名古屋市立女子短期大学と名古屋市立保育短期大学を統合し、男女共学・四年制大学化することが望ましい。整備する学部として「人間」「社会」をキーワードにした人文社会系の学部及び「デザイン」をキーワードにした芸術工学系の学部が適切である。
  2. 名古屋市立大学教養部を改組し、国際感覚豊かな人材養成を目指す国際系の学部を新設することが適切である。
  3. より積極的には、市立三大学の統合を検討することが望ましい。

これによって新学部の具体案の構想や、市立三大学統合へと進む構想が進展した。

(2)市立三大学の統合と新学部の設置認可

 こうして、平成5年(1993)7月、「統合・四年制大学化準備検討委員会」が設立され、名古屋市総務局と両短大とで新学部の構想と具体化が盛んに議論された。委員長は女子短大の三村耕学長、副委員長は保育短大の岸本英正学長であった。同月開催された第1回の「統合・四年制大学化準備検討委員会」では、両短期大学の学部計画案と、名古屋市立大学教養部の改革案の擦り合わせ、一本化が名古屋市総務局から提案された。これを受けて、それまで両短期大学の再編・四年制大学化案として構想されてきた案に加えて、名古屋市立大学教養部の再編を加えた、市立三大学統合案が本格的な議論の机上に登った。そして、同年9月には市立三大学統合についての三大学の合意が形成された。
 平成5年(1993)10月、設置者及び三大学の学長等からなる「市立三大学の統合に関する整備委員会」(座長:市助役)が設置され、新学部、新センターの学部学科構想、キャンパス構想などの基本方針が取りまとめられ、平成6年(1994)6月、人文社会学部(仮称)設立準備委員会、芸術工学部(仮称)設立準備委員会が発足した。こうした動向の中で、同7月、名古屋商工会議所は、「国際化・情報化・高齢化など大きな時代の変化のなかで、学術・文化の振興と人材養成を担う大学の役割がますます重要になっている」として「名古屋市立大学の総合大学化」を要望して新学部設置に賛意を示した。続けて、翌7年(1995)3月には、第3年次編入学制度に対して「リカレント教育に対応した大学における社会人再教育の必要性」という観点から大きな期待が持てると表明した。
 平成7年(1995)4月、人文社会学部・芸術工学部の『設置認可申請書(第一次分)』を文部省に提出し、次いで同年7月には、『設置認可申請書(第二次分)』を文部省に提出した。そして、同年12月22日、人文社会学部、芸術工学部の設置が認可された。
 平成8年(1996)4月、名古屋市立大学に人文社会学部、芸術工学部、自然科学研究教育センターが設置された。これは、名古屋市立保育短期大学、名古屋市立女子短期大学、名古屋市立大学教養部の三つの学校・組織を統合・再編して設置したものである。
 同年6月18日、「新生・名古屋市立大学」発足記念の記念式典が医学部講堂において開催され、佐々木實医学部長の開会の言葉、伊藤信行学長の挨拶、西尾武喜名古屋市長、真野清和市会議長、平紗多賀男大阪府立大学学長、飯島宗一愛知芸術文化センターの来賓祝辞が述べられた。続けて、人文社会学部長、芸術工学部長、自然科学研究教育センター長から新学部・センターの概要が説明され、池尻宏郎薬学部長から閉会の言葉が述べられた。続けて開催された記念講演会では、東京都立大学総長の山住正巳氏から「大学とは――国立・私立そして公立――」と題する講演が行なわれ、つづけて記念祝賀会(「新生・名古屋市立大学」を祝う会)が開催されて散会した。

新生名古屋市立大学式典パンフレット
新生名古屋市立大学式典パンフレット

参考文献
名古屋市立女子短期大学50年誌刊行編集委員会編『名古屋市立女子短期大学50年誌』名古屋市立女子短期大学50周年記念事業実行委員会、1996年