名古屋市立大学の歴史
名古屋市立大学の歴史
教養部の自然科学系の教員と計算センターの教員を改組して誕生したのが自然科学研究教育センターである。その名称については、種々の検討の上、平成7年(1995)8月に「自然科学研究教育センター」と決定し、10月には英文名称「Institute of Natural Sciences」と決定した。そして、平成8年(1996)4月、自然科学研究教育センターが設置された。その構成は「情報科学系大講座」(教員7名)、「物質科学系大講座」(教員8名)、「生体科学系大講座」(教員8名)とし、それぞれの系に従った研究と既設学部の教養教育を担当した。最初のセンター長は猪狩盛夫教授(植物生理学)が務めた。
名古屋市立大学自然科学研究教育センター設立準備委員会編『名古屋市立大学 自然科学研究教育センター』(最初のパンフレット)によると、その「設立の目的・意義」は、「名古屋市立大学が総合大学として機能するため、自然科学研究教育センター(以下「自然センター」という。)は本学の自然科学及び情報科学領域の研究・教育を行うとともに、将来的には関連した大学院を開設する。「自然センター」が医学部・薬学部・経済学部・人文社会学部・芸術工学部と有機的に機能することにより、本学は高度情報化社会に適応でき、複雑化した国際社会で活躍できる有能な人材を社会に送りだすことができる」としている。また「将来構想」については、大学院の設置を検討していることを明記し、学部構想については、当面は難しいが、「条件が整えば、基礎的な自然科学および情報科学系学部の設置を検討する予定である」としている。これに従って、平成12年(2000)、大学院システム自然科学研究科が成立し、やや時間をおいて、平成30年(2018)、総合生命理学部が誕生する。
平成12年(2000)、大学院システム自然科学研究科の修士課程を設置した。入学定員は15名である。続けて同14年(2002)4月、大学院システム自然科学研究科の博士後期課程を設置した。入学定員は5名である。これにともない、修士課程を博士前期課程とした。最初の研究科長には杉浦昌弘教授(分子生物学)が就任した。
「未知を知識に」と題した最初のパンフレットによると、「システム自然科学研究科は、学際領域とその応用・開発に視点を置きながら、基礎科学の横断的知識・理論をもって課題に対処する、高度専門職業人と指導力のある研究者の養成を目的としている」。システム自然科学研究科には「生体情報専攻」を設置した。その目標は、「生体科学と情報学に横断する基礎的な知識と理論を修得し、その基盤の上に清明・生体現象に関わる課題を究明する人材を育成して、生体情報、生体科学、情報科学、物質科学の各分野における科学技術に寄与すること」であった。専門科目の系列は「生体構造情報系」「生体制御情報系」「生体高次情報系」「生体物質情報系」の四つの系で構成された。
設立時のシステム自然科学研究科パンフレット
参考文献
名古屋市立大学自然科学研究教育センター設立準備委員会編『名古屋市立大学 自然科学研究教育センター』(パンフレット)1996年
『大学院システム自然科学研究科 未知を知識に』(パンフレット)2000年