名古屋市立大学の歴史
名古屋市立大学の歴史
日本の高等教育に関し、国は、大学設置基準の大綱化・簡素化、教養部の改組に続いて、大学院の重点化、そして国公立大学の法人化の政策を進めた。大学院重点化とは、大学の教育研究組織を、学士課程を基礎とするものから大学院課程を基礎とするものに変更し、大学院学生の入学定員を増やすなど大学院の拡充を行なうことである。この政策は、1990年代に国立大学を主たる対象に進められ、平成3年(1991)東京大学法学政治学研究科が重点化されたことを皮切りに、東大・京大などの旧帝国大及び一橋大、東工大などの国立大学が次々と大学院重点化を行ない、その後もいくつかの国公私立大学で進展していった。これにより、教員は大学院の所属になり、大学院生が大幅に増加するなどの大学院拡充が進展していった。
平成3年(1991)の大学審議会の答申「大学院の整備拡充について」及び答申「大学院の量的整備」では、平成12年までの10年間に日本の大学院の規模を2倍程度の規模に拡充することを提言している。これにより、日本の大学院学生、修士号・博士号取得者は大幅に増えた。平成27年(2015)段階で、大学院学生の数は平成3年時点の約2.5倍に増えた。
ただし、その後、この政策の方向性をめぐっては見直しの議論が提起されている。大学院修了者の雇用の問題が深刻で、それを知る若者たちの大学院離れが進んでいるからである。そのため、2010年代頃から国も方向性を少しずつ変え、現在は大学院教育の実質化、学生の質保証という表現で、この政策の再考を行なっている。
名古屋市立大学では、平成14年(2002)4月、看護学部を除く6研究科において大学院重点化(大学院部局化)を実施した。これにより、教員の所属は研究科となった。この年は、人間文化研究科、芸術工学研究科、システム自然科学研究科に博士後期課程が設置された年であった。既存の研究科においては、この後、研究科の改組や入学定員の増員などが検討・実施された。名古屋市立大学の場合、大学院学生の入学定員の増員は必要な研究科において必要な範囲で実施された。これにより、前述のような大学院重点化にともなう弊害はあまり起こることなく現在に至っている。それでも全国的な若者の大学院離れは名古屋地区でも進展しており、名古屋市立大学においても大学院の学生定員充足率の問題は今後の課題になっている。
令和元年(2019)、看護学研究科において大学院重点化(大学院部局化)が実施され、名古屋市立大学ではすべての研究科において大学院部局化が完成した。