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薬学部・薬学研究科

トピックス

卒業生からの投稿

定年退職前後

黒野 幸久

黒野 幸久

 大学入学(昭和40年(1965))から定年退職(平成24年(2012))まで47年間名古屋市立大学薬学部にお世話になった。途中約2年間(昭和50年(1975) – 昭和52年(1977))は、在職のまま米国の2大学に留学した。学生時代から一貫して薬学部に在籍し、晩年教授として退職したのは過去に例がないものと思う。基礎研究をしてきて薬剤師としての臨床実務経験のない者が、薬剤師養成を目指した教育(主に実務実習)に若干関わった経緯などについて、独断と偏見に基づき筆を執ることにした。定年退職の前後について記述する。
 従来学生の実務実習に関して、薬学部は病院薬剤部に丸投げしてきた。実習期間が1ケ月になり薬剤部の負担が極端に増大した。薬学部から教員が派遣できるようにするため、病院薬剤学施設が設立(新設)された。平成13年(2001)その施設の助教授となり、名市大病院薬剤部において1ケ月間の実務実習の手伝いをすることになった。年に8回約12名ずつ (薬学部の定員が100名)行われた。私は薬学部と薬剤部にほぼ半々に勤務する状況となった。薬剤部での会議・会合にも参加し、病院薬剤師の業務(仕事)を身近に観察することができた。この頃からもしこのまま薬学部を定年になったら、家内(名市大薬学部昭和46年(1971)卒)の薬局を手伝うことにしようと考え始めた。
 家内は昭和63年(1988)に一人で薬局を始めた。当時私はできる限りの協力はするが、店は手伝えないが良いかと確認した。それでも良いとのことで立ち上げた。当初は一般用医薬品(OTC)、漢方薬及び雑貨の販売であった。院外処方箋が発行されるようになり、処方箋調剤が主流となった。さらに介護保険が導入され、老人施設の処方箋も扱うようになっていた。
 薬学部では薬剤師を養成する学科(薬学科)が6年制になり、平成18年度(2006)の入学生から適用された。この6年制に対処するには種々の課題が山積していた。文部科学省戦略的大学連携支援事業に応募・申請していた取組「6年制薬学教育を主軸とする薬系・医系・看護系大学による広域総合教育連携」が採択され、3年間の補助金が交付された。この事業を推進するため「東海臨床薬学教育連携センター」が設立され、その専任教授として私が昇格した。6年制に伴う諸種の課題に取り組んだ。詳細については”薬学雑誌、132, 21–29 (2012)”に記載されている。特筆すべきは実務実習に関するWEBシステムの構築である。保険薬局と病院薬剤部でそれぞれ11週間の実務実習が課せられている。実習生、指導薬剤師及び大学教員は、今回構築されたWEBシステムを利用して諸種情報の交換をしている。
 定年の約1年前(平成23年(2011))に、ある病院から透析クリニックと老人施設を作りたいが協力してもらえないかとの提案があった。引き受けることにし、薬局が手狭になっていたため、クリニックの近くに移転(500 m)した。定年を待ち構えていたかのように、薬局での勤務が始まった。初めの仕事は施設と個人在宅への配薬及び前述のWEBシステムを利用した実務実習生の指導であった。
 薬局を移転して3年がたち、大分落ち着いてきた。退職後自分の時間が殆んどなかったため、少しは余裕のある生活を送ろうと考えていた。しかし同じ医療機関が別のところに同様なサテライトを作り、薬局が必要になった。今回の出店には3社の競合となったが、当社(局)に決まった。折からの薬剤師不足のため、私が管理薬剤師となり薬局長をせざるを得なくなり現在に至っている。このように定年退職後も忙しい日々を送っている。


名古屋市立大学名誉教授
黒野 幸久(昭和44年卒)