学部・研究科・附属病院の歴史

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薬学部・薬学研究科

トピックス

卒業生からの投稿

開学70周年おめでとうございます。

 早いもので、卒業して30年。人生の半分を会社で過ごし、そろそろ定年が見えてくる年齢になりました。大学時代は主に合成を行い、卒業後はプロセス研究を主に行ってきました。今は会社でESG(Environment、Social & Governance)開示、EHS(Environment, Health, and Safety)や監査などを若いメンバーとともに担当し、企業の価値向上と持続可能性を高めることに日夜頑張っております。

 さて、私が学生の時は、阪神タイガースが掛布・バース・岡田のトリオで20年ぶりにリーグ優勝した時でもありました。私はオーケストラ部(同期の部長が今 名市大医学部で教授をしています)と全学の大学祭実行委員会に参加していましたので、夕方はオケ、その後、大学祭の準備、そして 深夜2時くらいまで滝子商店街の居酒屋“白雅”で50円のネギマでビールを飲んでいたことを覚えています。時には八事まで繰り出し、“味仙”の台湾ラーメンと青菜炒めを食べていました。飲まない日はプール裏の雀荘で、ハッピーターンを食べながら麻雀でした。ほんと勉強していなかったと今は反省しています。当然ながら 朝起きられず、午前中はほとんど学校に行った覚えがありません。友人の代返で卒業できたようなものです。みんな ありがとう。ただ、昼からの実験だけは出ていました。大学祭でも「翼の折れたAngel」の中村あゆみや「ff(フォルティシモ)」で人気が出始めたところのハウンドドッグを呼ぶことができ、体育館が満杯になり、すごく盛り上がっていました(ちなみに、実行委員であった私は、2回とも最前列の真ん中で警備をしていました)。

 また丁度Appleの初期型であるマッキントッシュが出た頃で、化学構造式を論文用にきれいに(Chemdrawで)書くために、唯一それを保有していた合成の教室に借用しに行ったことが思い出されます。今では 当たり前のように各自が使っていますが・・・。

 実は 卒業してから一度も大学に伺っていません。あまりにも勉強せず、先生方にご心配とご迷惑をかけたからで、敷居をまたぐことができない気分だったのです。ただ、今回、この原稿執筆の機会を頂き、懐かしさがこみ上げ、訪問したいという気持ちになりました。こんな私を優しく見守り、育てていただいた大学に感謝するとともに、今後の名古屋市立大学と先生方、学生の皆さんの益々の発展を祈念いたします。

樺木 幹雄(昭和63年卒)