学部・研究科・附属病院の歴史

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人文社会学部・人間文化研究科

同窓会

同窓会さわらび会のあゆみ

薬学祭の風景

 名古屋市立保育短期大学の歴史は、昭和21年(1946)戦後の混乱の時代の要請に応えて、名古屋市昭和区白金町に名古屋市保母養成所が創立されたことから始まる。昭和 22年12月(1948)に児童福祉法が制定され、昭和23年(1948)4月、全国に先駆けて厚生大臣指定の保母養成校としての認可を得、修業年限2年の保育専門学園(学園長 珠川善子先生)となったのである。そして昭和28年(1953)短期大学に昇格した。
 昭和36年(1961)6月、移転新築問題が満ちあがり、」大学にふさわしいキャンパスを 願い、昭和40年(1965)自然に恵まれた広い土地、緑の囲まれた新校舎が東春日井郡 旭町大字新居字平子5104番地(現在、尾張旭市)に移転し、大学学生数を4クラスに増員した。昭和41年(1966)第二期工事で学生寄宿舎、幼児教育研究所、付属実習室、 付属幼稚園「ふたば園」が完成した。その後、音楽棟、図書館が建設され、昭和60年(1985)大学福利厚生会館「さみどり会館」が完成した。昭和52年(1977)初等科ク ラスが増え5クラスに増員された。そして平成9年3月閉学を迎えた。
 同窓会は昭和23年(1948)5月頃、保母養成所卒業生の会がつくられ、昭和25年3月、学園長珠川善子先生の名前に因んで「珠美会」として発足した。同窓会の事業の中心である総会は、発足以来毎年開かれ、昭和32年(1956)「さわらび」と改名された。しかし昭和44年(1969)、他の団体を紛らわしい点があるとして「同窓会さわらび」と改められ、今日に 至っている。
 この「さわらび」の原拠は、万葉の古歌に因んだもので、かの志貴王子が「石ばしる垂水 の上のさ蕨の、萌え出ずる春になりにけるかも」と歌った如く、さ蕨は非常に小さく目立たないけれど、実に素朴で地味な色合いに上品さを表し、豪華な他の草花の中にひときわ心ひかれるものである。私たちもその名の如く、地味な上品さの中に他人に喜ばれる美しさを持ち、常に希望をもって忍耐強く正しく伸びることのできるよう、祈りを込めて名付けられた。

薬学祭の風景

同窓会さわらびの活動

薬学祭の風景

 「同窓会さわらび」は会員およそ5000人、40代から90代の会員で成り立っている。


  1. 総会
  2.  毎年6月に開催している。来年は72回目を迎える。卒業して30年経った50代前半に実行委員が回ってくる。その実行委員会のメンバーが計画する。200人くらいの卒業生が会する。午前中の講演は、3月に退官された恩師の先生方に講演をお願いしている。毎年興味深く聴いている。午後は食事をしながら恩師の近況報告や来賓の方々との交流、クラスメイトとの再会を楽しむ親睦会である。


  3. さわらび研究会
  4.  総会が終わった秋の時期、市大の施設を借り、毎年テーマを決め、卒業生、一般の人にも声を かけ開催している。いろいろな分野の講師の先生に依頼して、参加者のスキルアップに つながっている。


  5. 会誌の発行
  6.  全国津々浦々の会員の共通の情報を提供する会誌である。幅広い年齢層の会員に楽しく読んでもらえるよう内容に気を配っている。その年の実行委員のクラスから1人ずつ保育短大時代の思い出や近況報告を寄稿してもらっている。また市立大学との交流会、大学の様子等発信している。


  7. コールさわらび
  8.  構成メンバーは卒業生、毎月1回練習を行い、美声に磨きをかけている。月2回の練習があり、子守り歌、童謡はじめ幅広いジャンルを歌っている。さわらびの総会や発表会で披露している。


  9. 珠川善子先生碑の清掃
  10.  年2回、白金児童館にある珠川善子先生の碑を清掃をしている。実行委員会のメンバーと役員で行っている。珠川善子先生を知らない年代の実行委員であるため、保育の先駆者の先生存在を知ってもらうためにはいい機会となっている。


  11. 役員会
  12.  年に6回ほどの役員会を行っている。会議の拠点は「さわらびルーム」である。10数名の役員体制で運営にあたっている。今後、市立大学人文学部同窓会の瑞桜会との交流を深めながら、一緒に活動できるよう繋いでいくことが課題となる。

薬学祭の風景