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看護学部・看護学研究科

組織の変遷

名古屋市立大学医療技術短期大学部 時代

 昭和40~50年代にかけて、国公立の医療技術養成機関では、専修学校を短期大学に移行する傾向にあった。昭和40年(1965)度には名古屋市に短大移行への予算要求を始めたが実現されず、その後の歴代校長、学校関係者の永年にわたる念願となっていた。昭和54年(1979)3月、名古屋市立大学整備計画において短期大学構想が懸案整備事項の一つとして提議され、昭和57年(1982)度の名古屋市の予算に医療技術短期大学部創設のための調査費が計上されるに至り、ようやく看護短期大学構想が現実化した。名古屋市立大学学長を委員長に、短期大学部の基本構想が練られ、昭和60年(1985)6月、名古屋市議会において名古屋市立大学看護学校と名古屋市立看護専門学校(昭和43年(1968)4月開校)を統合し、名古屋市立大学看護短期大学部を設立することが了解された。昭和62年(1987)12月、同看護短期大学部は文部省の設置認可を受け、昭和63年(1988)4月、名古屋市立大学の併設校として、看護に関する高度な専門的知識及び技術を教授研究し、豊かな教養及び人格を備え、社会の保健医療の向上に寄与する人材を育成することを目的として、看護学科が設立された。入学定員100名、修業年限3年であり、専任教員の定員は、教授6名、助教授4名、講師6名、助手12名であった。平成3年(1991)4月には、名古屋市立大学看護短期大学部専攻科助産学専攻(入学定員15名、修業年限1年)が設置された。平成6年(1994)4月、専攻科助産学専攻は学位授与機構の認定を受けた。同看護短期大学部開設以来のこの10数年間は、日本における看護教育全体が見直される時期に当たり、名古屋市立大学看護短期大学部においても二度のカリキュラム改正が行われた。そうした中で、平成6年(1994)4月、四年制大学化検討小委員会が発足し、平成8年(1996)4月、名古屋市立大学看護学部(仮称)設立準備委員会が設立され、看護学部化に向けて大きく前進した。平成14年(2002)3月31日、看護短期大学部は廃止されるまで1,068名の看護婦・看護師を輩出した。