学部・研究科・附属病院の歴史
学部・研究科・附属病院の歴史
芸術工学部は平成12年(2000)3月に1期生を送り出し、 4月には3領域からなる大学院芸術工学研究科博士課程(前期)を設置した。大学院の設置は学部設立の準備段階で計画されていた。
また、最初の博士前期課程の修了生を輩出した平成14年(2002)の4月には、博士課程(後期)を設置した。このとき名古屋市立大学では大学院が部局化され、芸術工学部では全教員が芸術工学研究科の所属となった。この部局化は、大学院重点化によって大学院大学を設置する全国的な流れを受けた対応であった。なお、芸術工学部設立以来、教員の研究や社会貢献活動の発表の場であった『芸術工学への誘い』は、大学院部局化に伴い紀要となった。
このころ芸術工学部では、大学院の設置のほかにも外部評価や教員の任期制について議論が始まっており、設立期から成長期に移ったということができる。その過程で組織改編の必要とする声もあがっていた。背景には、学部設立から8年が経過し、授業の組み立てや人事といった点で一層の工夫が必要になってきたこと、社会的要請に適用した実習の再編が必要となったこと、教員の入替えも進みつつあることなど、デザイナー育成のために教育のあるべき姿を明快にしなければならないという考えがあった。つまり、設立と運営に関する当初の構想に、徐々に不具合が生じていたのであった。
見逃せないのは改組に関する議論で、大枠としてはデザインおよび情報の分野、建築および都市の分野の違いを明確にしようというものであった。これは建築を基礎に据えつつ、総合デザイナーを養成するという当初の構想を揺るがすものであったが、教育的効果が見込めるという考えが大勢を占めつつあったという。多くの教員がそうした考えに至ったのは、のちに「就職氷河期」という言葉が定着する通り就職率が低下し、大学院進学率も伸び悩んでいたためであった。また、「芸術工学」に関する研究活動も活発ではなく、改善策として認識を一にしたのが建築の強化であった。
但し、組織改編には文部科学省への設置申請が必要なため、このときはアーバン系とプロダクト系の科目の一部を入れ替え、カリキュラムを見直すにとどめた。とはいえ、これだけでは消極的な改組に終始してしまうという懸念もあり、芸術工学部のテーマである「健康」と「都市景観」に関する科目を共通科目とし、ユニバーサル・デザインと都市景観を2学科の必修科目にした。
実際の改組は平成17年(2005)に実施され、視覚情報デザイン学科が「デザイン情報学科」、生活環境デザイン学科が「都市環境デザイン学科」となった。学科名称の変更に伴ってカリキュラムも見直し、学生定員も増加した。また、学位認定の仕組みを整備するなどの改革も進めた。なお、当初は「建築都市デザイン学科」とする案もあったが、見送られた。
学部改組に伴い、3領域からなる大学院も学科数に応じて2領域へ変更した。これにより、大学院の領域によって3つに分かれていた教員が、2つの学科会議に参加するという不具合を解消でき、学生の就職活動もスムーズに進むようになった。事実、平成16年(2004)から平成17年(2005)の就職率は90〜95%にまで回復した。しかし、一連の改組の結果、平成20年(2008)度には5つのカリキュラムが並行するという事態を招き、教養科目も20単位から30単位に増加したため、学生が履修科目として登録できる単位数の上限を定めるCAP制を導入するなど、学生の負担が増したことも忘れてはならない。
その後、平成22年(2010)4月に都市環境デザイン学科の名称が建築都市デザイン学科に変更され、教育と研究の基礎である「建築」が学科名に用いられた。また、平成23年(2011)には2学科から3学科とる届出を文部科学省へ提出し、認可された。そして、平成24年(2012)4月に学部は「情報環境デザイン学科」(定員30名)、「産業イノベーション学科」(同30名)、「建築都市デザイン学科」(同40名)の3学科、大学院博士前期課程は情報環境デザイン領域、産業イノベーション領域、建築都市領域の3領域体制となった。この変更は、デザイン情報学科の再編を目的としたもので、デザイン業界の変化に合わせて情報デザイン分野を強化し、メディア、制御、情報通信等の工学分野を加える意図したものであった。デザイン系2学科の違いは、情報環境デザイン学科が情報を対象とするバーチャル環境、産業イノベーション学科が実在する物的環境からのアプローチと説明でき、学部設立時に掲げた「技術」、「感性」、「人間理解」という理念は通底するが、リアルとバーチャルという特徴を鮮明にした改組となった。
ところで、この時期には大学本体も大きな変革の波の中にあった。というのは、平成15年(2003)の国立大学法人法成立によって、公立大学にも法人化の問題が差し迫り、大学の組織運営を検討せざるを得ない状況にあったからで、本学では平成18年(2006)4月の公立大学法人化に向けた作業を始めていた。求められたのは大学の競争力、すなわち自由競争社会における生き残りをかけた経営感覚、そして大学の独自性を発揮すべき戦略的運営のできる体制の構築であった。そこで学は、重点項目に「環境保全」、「健康」、「福祉」の3項目をあげて積極的に問題の発見と解決を行なうことを中期目標とし、芸術工学研究科では従来から掲げている「情報工学、情報デザイン、製品設計、芸術、都市・地域計画、環境工学、建築設計、建築構造学」分野の教育と研究活動により積極的に取り組み、一層の成果をあげることを目標とした。
公立大学法人化に対する取り組みは、平成21年(2009)4月の環境デザイン研究所の設置にもむすびついた。この研究所は「環境デザイン」を教育と研究のキーワードに掲げ、翌年には開所イベントとして「健康と芸術工学」をテーマとするシンポジウムを開催した。また、この年に交流協定を締結したパドヴァ大学から講師を招き、歴史的建造物の保存に関する国際セミナーも実施した。このように、環境デザイン研究所は、産学連携研究、国際共同研究、社会貢献の拠点となった。このことは、芸術工学部が成熟期に移行したことも意味する。但し、研究所の設置構想は学部設置のころに遡り、瀬口によれば、学部設立以来10年にわたって毎年設置を申請していたが実現しなかったという。そこで、平成17年(2005)度の教授会で「(仮称)芸術工学研究所」の設置を決定し、人員や予算をはじめ芸術工学部独自で運営していた。こうした自主的な活動が下地となり、環境デザイン研究所に昇華したのである。
さらに、平成26年(2014)8月には名古屋市立大学病院医療デザインセンター(MEDICAL DESIGN RESEARCH CENTRE)が開設され、國本桂史をセンター長として芸術工学研究科が運営にあたった。この研究所は、デザイン領域のアプローチによって産学官が共同して医学的問題に取り組むことを目指して設置された。芸術工学部創設当初のキーワードである「健康」を中心とした学際的な研究と実践を担う新たな展開といえる。