学部・研究科・附属病院の歴史
学部・研究科・附属病院の歴史
1984年、当時の薬友会横井北海雄会長のもと、水野民也先生を企画委員長とし、役員、会員一丸となり、薬学部創立100年記念として薬友会館が建設されました。そして一階の一部に、水野先生の造詣深い茶道の修練場所、茶室が作られ、薬学に相応しく薬炉庵と名づけられました。
春、山崎川の桜が素晴らしいので、瑞山会(経済学部)、瑞友会(医学部)、薬友会(薬学部)、三学部の同窓会で花見の会が薬友会館で開かれるようになりました。茶室もあることから、水野先生のご要望で、集まられた皆様に呈茶をすることとなり、当時の瑞山会役員の奥様の同門、先輩であった齋藤マリ子先生(表千家)にご指導を頂くこととなりました。
以後、水野先生のお勧めやご依頼、榊原仁作先生や役員の先生方の強力なご援助もありだんだんと茶道部ができてきました。
故 林弥生先生、野田康弘先生、事務局の方、図書館勤務の方、会員はもとより、院生の方々もお稽古に加わってくださり、大勢で薬炉庵や東山荘、その他で茶事を楽しみました。転勤、卒業、家の都合など、部員の移動は沢山ありましたが、出会いもまたあり、現在月2回の稽古と、年間2回くらいの茶事を行っています。春の花見の茶会は諸事情により中止となりましたが、秋の薬学祭協賛茶会はつづけています。
海外からの留学生にも、着物や浴衣を着て和菓子やお茶を味わい、みずからお茶をたてたりして日本の文化にふれて貰っています。
又、有志を募り、京都楽焼の窯元を訪ね作陶体験したり、お茶の木を伝えたといわれる栄西禅師開山の建仁寺の四頭茶会に参加したり、利休の生誕地、堺市の南宋寺の献茶会に参加したり、国宝の曜変天目三碗を見ようと、あちこち出かけたり、楽しみながら研鑽を積んでいます。
坂 民枝 (昭和40年卒)