学部・研究科・附属病院の歴史
学部・研究科・附属病院の歴史
修士・博士の両課程をもつ大学院を設置して優れた研究者の養成をめざすことは、学部創設当初から計画されており、そのための努力が学部創設に続いて精力的に進められた。その結果、学部創設4年後の昭和43年(1968)度に、大学院経済学研究科修士課程(経済政策専攻)が設置された。入学定員は10名であった。
昭和45年(1970)度には、大学院経済学研究科博士課程(経済政策専攻)が設置された。入学定員は5名であった。昭和50年(1975)度以降、修士課程・博士課程は、大学院経済学研究科博士課程(経済政策専攻)の前期課程と後期課程に再編成された。
大学院経済学研究科は、創設後の約20年間は、他大学の博士課程をもつ経済学系の大学院と同様に、経済学研究者を養成する機関として機能し、大学院修了者の大部分は大学等の研究機関で職を得て、学界で活躍していた。しかし、日本経済の高度化、国際化の進展とともに、より高度で体系的な専門的知識・理解を有する社会人の養成の必要性がしだいに強まり、大学院がこうした社会人の養成の一端を担うべきであるとの社会的要請も高まってきた。
こうした社会的要請に応えるため、名古屋市立大学大学院経済学研究科では、平成元年(1989)度に、大学卒業後一定の実務経験をもつ社会人を対象とする修士課程(日本経済・経営専攻)を開設した。この新たな修士課程は、夜間および土曜日に開講される講義科目や演習を履修し、修士論文を作成することにより、課程を修了することのできる全国初の昼夜開講制の大学院であった。入学定員は15名であったが、当時の社会人の大学院進学意欲の高まりを反映して、開設初年度の志願者は定員の10倍の150名に達した。
社会人大学院の開設は、それまでほぼ研究者志望一色だった大学院生の構成に多様化をもたらした。社会人大学院生が持ち込むきわめて実際的な問題意識への対応の必要性から、従来の学術的研究に加えて、実践的な問題解決への取り組みという要素を大学院教育に付け加えることとなった。